
「具体的に実在する1人」がすべての起点になる
ここまでのケーススタディで紹介した4社のマーケティングは、すべて「具体的に実在する1人」を起点にしています。実際に顔の見える実在する誰か(N1)が欲しいというものに注目し、アイデアの出発点にしています。
たとえば、シロクの「N organic」の起点は、ブランドマネジャーの女性の「オーガニックコスメのブランドをつくりたい」という強い意欲でした。また、産休明けに職場復帰した女性メンバーの「スキンケアの時間くらいは癒やされたい」という声がインサイトの発見につながっています。
アサヒビールの低アルコールビール「アサヒスーパードライ ドライクリスタル」は、社長ご自身のお父様やご自身を「N1」としていました。
アックスヤマザキのミシンも、周囲の人々や体験会で実際に会った親子、またお客様の強い反応が商品開発の起点になっています。
BtoB企業のパナソニックコネクトでも顧客のニーズや期待を製品の改善に活かし、一般的にはレガシーポートと言われがちな有線LANポートを残して便益と独自性を強めています。
具体的に実在する1人の声を活かせるのは商品開発時だけではありません。既存顧客の声をコミュニケーションアイデア(訴求のアイデア)に活かすことも可能です。
たとえばシロクでは、「アプリケーターを目の周りに押しあててマッサージしながら美容液を塗る」というロイヤル顧客の話を広告に活用したところ、大きな効果が上がりました。
「N1分析」のアプローチの対極は「マス競争モデル」
「実際にいる誰か1人が、絶対に欲しいと思うもの」からWHOとWHATの組み合わせを見つけ、それを訴求するために効果的なHOWを打ち出す。そして、顧客の数を段階的に増やしていく。これが「N1分析」によるマーケティングの基本的な考え方です。
あくまでも実在する人たちからサンプルを集め、そこからアイデアを導き出すという帰納的なアプローチをとります。
その対極にあるのが、すでに存在している市場における演繹的な「マス競争モデル」です。
市場全体をマクロ的にとらえ、目標を設定し、顧客や競合の分析を実施し、セグメントに分類して、自社が何を強みとするかを選択し、既存のマーケティング手法や競争手法を活用してシェアを拡大する方法です。
たとえば、「売上100億円」や「シェア2倍」などの目標を立てたら、現在とのギャップを埋めるために、どの顧客層を獲得し、どの競合から顧客を奪い、そのためにどのような強みのあるプロダクトを開発すべきか、何を訴求すべきかを、3C分析やPEST分析、SWOT分析など、主にマクロな環境分析を使って策定します。
その実行にあたっては、一般的に「戦略」と言われるSTPの設定や、「戦術」と呼ばれる実行プランのMM(マーケティングミックス)で最も有名な4Pの設計をして進めていきます。
*3C分析/Customer(顧客)・Company(自社)・Competitor(競合他社)の分析
*PEST分析/外部環境(マクロ環境)を分析するフレームワーク
*SWOT分析/強み、弱み、機会、脅威を特定するフレームワーク
*STP/セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング
*MM(マーケティングミックス)/設定したSTPの具体的な実行プランや施策
*4P/MM(マーケティングミックス)の一種で、Product(製品)・Price(価格)・Place(流通)・Promotion(販売促進)
これまでは多くの企業がマーケティングでこうした演繹的なアプローチを採用してきましたが、その起点はすでに存在する大きなマーケットをどのように分類し、どこにターゲットを絞るかということにあります。年齢層、メディア、居住地、メッセージで分類するなど、分類方法は多岐にわたりますが、これらはすべて既存の手法であり、競合も同様の方法をとることができます。
そのため、どうやっても既存の枠組み、過去の常識の延長線上からは抜け出せません。
典型的な顧客像である「ペルソナ」の落とし穴
実際の顧客データや市場調査に基づいて顧客の典型的なプロフィールを作成する「ペルソナ」の手法が用いられることもありますが、これも既存の市場の既存の顧客を平均値としてとらえてしまいかねません。
たとえば、飲食店で30~40代の女性に向けたハンバーガーのメニューを開発するとします。定量調査の結果などから「都市部で働く35歳の女性」というペルソナを仮定しても、結局は「平均的な好み」を狙う発想になりがちです。
アサヒビールの松山社長もおっしゃっていたように、「N300」などのヒアリング調査から想定したペルソナには体温も感じられず、提案の精度も粗くなります。
最初から「N300」を満足させるために、それぞれまったく違う個性やニーズや心理状態を持っている人々をひとくくりにして平均値をとろうとすると、どの飲食店にもありそうな平均的な商品になる可能性があるのです。
しかし、実在する誰か1人に対しての提案であれば、精度は高くなります。
「月に何回くらいハンバーガーを食べますか?」「どんな日に食べたいと思いますか?」「アレルギーはありますか?」「どのくらいの辛さが好みですか?」「チキンとビーフのどちらが好きですか?」など多方面からの質問を通して、この「N1」が絶対に欲しいと思う提案を見つけ出すことが可能です。
それは、ハンバーガーではなく、ささみたっぷりのサラダかもしれないし、脂質が低く栄養価の高いプロテインバーかもしれません。「ハンバーガーのメニューを考える」という出発点が、そもそも演繹であり、既存の市場、過去の延長線上になっているのです。ハンバーガーから会話をはじめたとしても、洞察すべきは「その人が絶対に食べたいと思うものは何か?」なのです。
そして、その「N1」と同じように「それを食べてみたい」と思う人はどんな人かを考察し、その同様なニーズがありそうな人たちにリーチする訴求内容や方法はどのようなものかを検討し、実行することで、帰納的に顧客数を増やしていくことができるのです。
まだ会員登録されていない方へ
会員になると、既読やブックマーク(また読みたい記事)の管理ができます。今後、会員限定記事も予定しています。登録は無料です