本シリーズではここまで、書籍『ブランディングの誤解 P&Gでの失敗でたどり着いた本質』をベースに解説してきました。最後に、同書巻末に収録した、中央大学 名誉教授の田中洋氏との対談を掲載します。
顧客との継続的な関係を前提にしたブランドの概念

西口一希(以下、西口) 「会計」などは一定の国際ルールが定められており、「科学」や「物理」などは普遍的な法則性がありますが、田中先生もご存じのように「マーケティング」「ブランディング」といった言葉は、普遍的な法則もルールもなく、ユニバーサルな定義が存在しません。
私は35年ぐらいマーケティングに携わっていますが、マーケティングという業務領域はそもそも言葉の定義が曖昧なため、無駄な投資をたくさんしてきました。そうした成功と失敗を積み重ねる中で、自分なりの定義をつくったので、まずはそれを説明させてください。
「マーケティングとは企業が顧客のニーズを洞察し、価値を生み出して、利益を得る。その利益を再投資し、さらなる価値をつくる。こうした継続可能な循環をつくる企業の活動である」
経営とマーケティングは何が違うのかと、よく聞かれます。企業規模が大きくなるにつれ、経営は、複数の事業をどのように組織として大人数で展開していくかという比重が大きくなります。ですが、創業期の単一事業の立ち上げから利益化のころは、経営とマーケティングはほぼ一致しています。したがって、個別事業に対する経営はマーケティングと同義であり、複数事業を東ねる組織と大人数を対象にすることを経営と定義しています。
そして、マーケティングを行う事業において、顧客が自社の商品・サービスに対して見いだした価値を忘れられては困ります。そこで、商品・サービスの持つ価値を顧客にとって記憶化しやすくし、想起率を高めるための行為や手段が基本的なブランディングです。
おいしいラーメンだったと商品が評価されても、後日に店名を思い出してもらえない、あるいはテレビCMで見て寝心地のよさそうな布団だという印象を与えることには成功したのに、いざ購入を検討する段階でブランド名を思い出してもらえない。こうなるとブランディングは失敗しており、その上位概念としてのマーケティングが不十分だと考えています。
田中洋氏(以下、田中) 「マーケティングやブランディングに大きな誤解がある」というのが今回の対談の前提になっていると思いますが、それには私も同感です。私は40年前に米国に留学していて「マスコミュニケーション」を専攻していましたが、マスコミには定義に対する問題提起はありませんでした。
ですが、それに付随して、マーケティングについて勉強し始めたところ、その定義は日本や米国のマーケティング専門団体で異なっている。定義がこれほどばらばらな業界は珍しいと思いました。
私も西口さんがおっしゃる「継続性を重視している点」は同感しています。顧客との取引は1回だけで終わるわけではありません。私自身はマーケティングの定義について、「エクスチェンジ(交換)」をベースに考えています。
エクスチェンジというのは、売りたい人と買いたい人の利害を一致させ、売り買いを成立させることです。マーケティングは顧客のニーズを優先的に考えることで、この利害問題を解決していくことだと理解しています。
この継続的な利益を生み出すという中で、私は「ブランド」という考えが入ってきたと考えています。「ブランドとは売れ続けるための戦略である」と言ったことがありますが、まさしく顧客と継続的な関係性を構築することが前提にあります。
コミュニケーションだけでは差別化できない時代
田中 次に、ブランドとブランディングの定義について。私が広告代理店で働き始めた1980年代には、ブランディングという言葉は既に存在していました。ですが、当時のブランディングといえば、非常に狭くて、ブランドのロゴやパッケージデザインや広告に応用したときのビジュアルを指していました。
少し話題とはずれるかもしれませんが、「ブランドイメージ広告」というアイデアを考えたのはデビッド・オグルビーというコピーライター出身の広告会社経営者でした。
彼が1951年に制作した「ハザウェイ・シャツを着た男」という雑誌広告は、ハザウェイシャツを有名にしただけでなく、オグルビーの名前も有名にしました。20世紀は確かにブランドイメージの時代だったと考えられると思います。
ですが、それは、ワイシャツのような差別性の乏しい工業製品が大量に出てきた時代、広告による差別化が機能した時代だったからだと思います。しかし、21世紀にはそのような時代は終わったと私は考えています。
ブランド戦略は「経営」「マーケティング」「コミュニケーション」の3つの層から成り立っていると私は考えています。

田中 西口さんが指摘されている誤解とは、コミュニケーションのことだけを指したブランド戦略のことだと思います。
西口さんは商品・サービスの持つ価値、つまり便益と独自性を重視して、それを記憶化して、想起しやすくし、購入につなげていく手段と定義しています。このようにブランディングを広く捉えることに、異論はありません。
私もブランド戦略は、ブランドの価値を高める総合的な活動と捉えています。ただ、実際には事業の現場ではブランディングという言葉は定義が曖昧で、ややこしくなるので使わないようにしています。そこで、ブランドに代わる一言葉として、「商品についての認知システム」と呼んでいます。
例えば、京都の清水寺に続く二寧坂には古民家が連なっていますが、その中の一軒にスターバックスコーヒーのロゴを見つけられます。それを目にしただけで、どんなサービスを提供しているのか、展開がどんな雰囲気なのかをすぐに想像できます。
ロゴを見ただけで過去の利用経験から、体験、商品のイメージが連想されるからです。これを認知システムと呼び、マーケティングにおいて重要だと考えています。
西口 田中先生はどういうブランドを目指すのかをブランド戦略として捉え、その実行戦略として誰に何を売るのかというマーケティング戦略、経営資源を司る経営戦略、それを顧客にどのように伝えるかをコミュニケーション戦略だと整理されています。
私のマーケティングと経営の提え方とは異なりますが、先生の整理には納得しています。このブランド戦略でつくり上げるものとして認知や知覚品質などを整理されていますが、私は、顧客の心の中に記憶されるものをまとめて「連想イメージ」としています。
ですが、この顧客の記憶にある連想イメージの中には購入行動につながるものもあれば、つながらないものもある。これを多くの事業主は誤解しています。どれだけ特定のブランドイメージを強化しても、その特定イメージが購入行動と無関係では、認知は得られても、その顧客からの売り上げ向上は期待できません。
事業主側がそうありたいと、自社商品やサービスに期待する「ブランドイメージ」と、顧客が実際にブランドに抱いている認知や記憶としての「ブランドエクイティ」を区別してない場合が非常に多い。ブランドに対して、事業主が「思い」や「期待」として理想イメージを持つのはかまいませんが、顧客がどう捉えるかは分かりません。
重要なのは、顧客が、そのブランドを買い続けたいと思えるイメージを記憶して持ち続けてもらうことです。その区別がないままに、多くの無駄なブランディングが行われています。

ロクシタンのグローバル戦略の穴
西口 田中先生と初めてお会いしたころに、社長を務めていたロクシタンジャポン(東京・千代田)では、「2年で利益を3倍にする」という使命を与えられました。
ロクシタンに参画したころ、同ブランドは特に北米で、雑多な雑貨店のような認識になっていました。これを危惧したグローバルのマーケティングチームを束ねるCMO(最高マーケティング責任者)と経営陣は、「プレミアムスキンケアブランドを目指す」という新たな戦略を打ち出しており、その説明を受けました。
グローバルチームの間では、この合言葉のように「L’OCCITANE is not gift anymore.(ロクシタンはもはやギフトではない)」という言葉が飛び交っていました。ですが、私には違和感がありました。
日本でも非常に売れているロクシタンの人気商品にハンドクリームがあります。データを見ればこれを愛用し、ギフトとして友人や知人にプレゼントするような層はLTV(顧客生涯価値)が低い。一方、スキンケア商品のオイルを使っている層は少数だがLTVが高い傾向がありました。
年間の業績を利益で見ると、年間ユニーク購入者の中の約20%弱の顧客が100%の利益を生んでいました。そのロイヤル顧客はスキンケア商品を買い続けてくれています。残りの80%超の顧客は売り上げには貢献していますが、利益には貢献していません。この層が、ハンドクリームや新商品などを主にギフト目的に買っている人たちでした。
このデータだけを見れば、一瞬、グローバルチームの戦略は合っているようにも思えました。
ですが、現実的にはロクシタンをスキンケアブランドだと認識している顧客は一部しかいません。当時はロクシタンの顧客における、スキンケア商品の認知度は10%以下でした。また、購入行動として、そもそもスキンケアから入る顧客は非常に少ないことが分かりました。
しかも、現場の販売員などに聞けば、「日々の売り上げの9割近くがギフト目的です。新規顧客に限れば、スキンケアを目指して来られる方などいません」と言います。
この収益構造を見て、ギフトを捨ててスキンケアに特化するのは、ブランドをゼロから立ち上げるようなリスクしかなく、2年で利益性を上げる戦略としては全く不適切だと分かりました。
むしろ、ロクシタンはギフトや新商品の強化により、まず集客する。来店時に接客の中で必ずスキンケア商品を推奨して、最初の一晶として最も継続リピート率の高いオイルを使ってもらうという戦略に変えました。
この方針転換を進める上で、グローバルチームと大議論になりましたが、別の国でも同様の傾向があるという話になりました。グローバル会議でも何度も大もめになり、実質的に、グローバル戦略が動かない状態で、強引に国ごとの戦略を推し進めました。
少しずつ結果が伴う中で、当初に提案されたグローバルチーム戦略は採用されないまま、2年が過ぎ、なんとか利益目標を達成できました。グローバルチームとの関係はひどい状態になってしまいましたが、日標の達成のために、明らかに適切でないグローバル戦略を採用するわけにはいかなかったのです。
売り上げ拡大を特に期待されていた米国でギフトロ的の安売りの雑貨のようなブランドになっている状況で、プレミアムなスキンケアブランドに生まれ変わりたいと考えた事業主としての気持ちは分かります。
そのときのメタファーは「プロヴァンス発の自然派高級スキンケア」でしたが、ほとんどの既存顧客がそういうブランドだと認識していません。新ブランドでも立ち上げない限り、2年やそこらで、そのようなブランドになれるわけがありませんでした。
企業と顧客の持つブランドイメージの接点を見つける
田中 顧客がブランドに対して抱いているイメージと、事業側が目指すブランドイメージのギャップはよく生じます。「顧客は同じイメージで飽きているから、新しいものの提案が必要だ」と安易に考え、訴求ポイントを変えるケースがありますが、本来ブランド戦略とはそういうものではありません。
ブランド戦略では、顧客がブランドに対してどのようなイメージを抱いているかを探り、自分たちがどうあるべきかという接点を見つけていくことがとても重要です。
もう一点、「ブランド価値を高める活動」というのは、知名度を上げる、ロイヤルティーを高めるなど、様々なゴールがあり、どれを高めるのかは企業次第です。ですが、結果的に売り上げや利益に結び付けることが前提です。
売り上げを上げるには、必ず自社の資源と連結しなければなりません。いくらブランドが有名でも、小売店の店頭に並んでいなければ全く売れません。ブランド価値を高めると同時に、経営資源と連結することが重要です。

西口 当時のロクシタンのグローバルチームはそこまで細かく考えず、カテゴリーの売り上げ構成と利益率の違いと社内議論を重ねた「期待」としてのビジョンだけで、スキンケアブランドになろうと考えていました。ですが、現実はそう甘くはありません。
新ブランドではなく、非常に多くの既存顧客がいます。そのほとんどが、ロクシタンはハンドクリームやギフトのブランドだと認識しているため、いきなリスキンケアの商品を薦めても納得できません。シャネルが、急に、自然派のハンドクリームブランドになれないのと同じことです。
ロクシタンの場合、重要な経営資源である、はずれのない誰でも喜ぶハンドクリームとギフトイメージで来店を促す。そして、圧倒的な対人コミュニケ―ションが可能な店舗の販売員という独自資源を使って、ギフトを売りつつ、接客の中でスキンケアを徹底訴求することでした。
田中 西口さんが取り組んだのは「浸透率」にも関連する話ですね。ブランドの浸透率を高め、ライトユーザーを増やさないと、ミドルやヘビーユーザーに転換できません。ですので、既にある資産を使い「ギフトでライトユーザー層の獲得を強化したことは納得できます。
コミュニケーションだけをやって、ブランドが高級化することはありません。ブランド戦略をやるなら経営、マーケティング戦略が前提です。私に言わせればブランドを意識する経営戦略はありますが、「純粋なブランド戦略」を持つ企業は存在しません。
ですが、日本企業はそもそもマーケティングそのものができてないという課題が少なからずあります。
西口さんのご指摘の通り、商品・サービスの便益や独自性が弱いのでは、強いブランドになるための基礎条件が整っていないのではないかと思います。基本的なマーケティングができていないところでは、ブランド戦略ができるわけがありません。
まずは、そのブランドがどのように顧客の課題解決につながっているかをデザインできていなければなりません。
そのために必要な一つの考え方は、イノベーションではないかと思います。「コカ・コーラ」にしても、「マクドナルド」にしても、ある種のイノベーションの体現者です。それまでになかった新しい便益を提供することでブランドになったことは確かだと思います。それを第一にやらないといけません。
「ブランド戦略」を明確に持つ企業は存在しない
西口 おっしゃる通りです。これまで私は380を超える企業の相談に乗りましたが(2024年10月時点)、ブランド戦略を明確に持っている企業はありませんでした。
企業側が期待とする思いこみのブランド像がほとんどで、顧客が記憶し、購入行動につながるような評価をしているブランドイメージとはかなりずれているケースが多いです。そこで、顧客起点でのブランド戦略のつくり直しを提案しますが、それはうちのブランドではないとして、結局、自社の理想的なブランド像だけに入りこんでしまう。
「購入行動につながらないブランディングをしたいのか」と尋ねると、口をそろえて「やりたくない」と言います。ところが、実態は、購入につながるかどうか分からない思いこみのブランディングに投資しています。ブランドとは顧客の心の中で成立するものです。
理想像は大事ですが、理想像だけを押し付けようとすると、無駄な投資が発生します。
田中 ブランドをどれだけ意識して、経営やマーケティングをできるのかが重要です。ブランドをつくる場合には、時に売り上げを犠牲にするケースもあります。
ソニー創業者の盛田昭夫氏が米国へ進出するために、取引先にラジオを紹介したところ、OEM(相手先ブランドによる生産)を提案された。ですが、盛田氏はソニーの名前で売るために、この提案を断ったという逸話があります。目先の売り上げよりもブランドを優先した、意思決定でした。
ウォルマートに学ぶ「ブランドの本質」
西口 一例として、説明したい事例があります。私は2000年代前半に、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)で日本と韓国の小売り業向けのショッパーマーケティングの導入責任者をしていました。
そこで、米国の上位10の小売企業を回って、どういう戦略とオペレーションをしているのかを聞いたことがあります。その中で、ウォルマートとKマートの戦略の違いが印象的でした。
次の図はイメージですが、新店舗をオープンする際に、ウォルマートでは、ゆっくり売り上げと利益が上がっていく。一方、Kマートは一気に立ち上がって、徐々に落ちていきます。おおよそ、そういう傾向でした。

西口 Kマートは、新店をオープンすると販売促進策に大きなコストをかけます。開店の特売や目玉商品の安売りなどで集客するため、瞬間的な来店者数と売り上げは出ますが、費用が大きいために、利益率は非常に低い傾向にあります。
一方、ウォルマートはそういった特売をあまりやりません。基本的には、「エブリデイ・ロー・プライス(EDLP)」を掲げ、極端な特売ではなく毎日安く商品を提供します。もっとも、短期間で見れば特売をするKマートのほうが安いため、顧客が流れます。
ですが、長期で見るとKマートは、初期の開店セールの後の売り上げの落ち込みが大きく、利益の回収も遅い。一方、ウォルマートのほうは派手な売り上げ増加はありませんが、安定的に売り上げが上がって、結果、累計の利益が大きいため、新店舗オープン後の利益の回収が早い傾向にありました。
ウォルマートは、EDLPが最も顧客に信頼されリピートにつながること、そして目玉商品がなくても習慣的に来店されるリピート顧客からしか高い利益が出ないことを知っているからです。
EDLPはいつでも安心、いつでも安い。短期間ではなく、「長期で見ておしなべるとウォルマートのほうが安心でお得」という信頼イメージの構築が最も効果的だから、このような戦略を取っていました。EDLPしかやらないと、人件費や物流費や在庫管理を含めた店舗オペレーションにかかる販売管理費も抑えられます。
この話を聞いた当時、小売り業のEDLP戦略の強さとして納得できました。加えて、一般の消費財だけでなく、全ての事業に関わるブランディングの本質であり、短期と長期での売り上げと利益の違いとその関係を明確に表していると感じました。
ウォルマートはEDLPを掲げており、顧客もそういう認識を抱いている。つまり、EDLPを一貫することで、「いつでも安い。だから、あれこれ悩まず、買い物ならウォルマート」というブランドイメージをつくり、ブランドとして強力になったのです。
一方、Kマートは安いときに行く店というイメージのブランドになってしまった。それが、その後の結果に表れていました。この小売り業での気付きは、その後の、私のキャリアにとって非常に大きな影響を与えてくれました。

田中 興味深いですね。Kマートは新店を出して、プロモーションで「チェリーピッカー (特売品や安売リセール品のみを購入する顧客)」は引き寄せられるものの、それ以外の人は引き寄せられないという構造になっていたのかもしれません。
西口 当時もチェリーピッカーの話は出ていました。しかも安売りをすると、そもそもチェリーピッカーではなかった顧客もチェリーピッカー化してしまい、利益が出ない構造になってしまう。そのため、価格だけで顧客を引っ張ってはいけないというのは印象的でした。これはものすごく本質的です。
先ほど対談前の雑談で、田中先生とスターバックスコーヒーの歴史について話題になったので「ブランドの歴史」という切り口で、お話しさせてください。
ご存じない方のために、説明しますと、スターバックスの創業期はコーヒー豆の卸売り業でした。当時、従業員だつたハワード・シュルツ氏がイタリアのスタンデイングバーでカプチーノを飲んだ経験で独立カフェ事業を開始。やがて、スタバを買収し、そのブランドで事業を拡大しました。
そのカフェ事業も、最初はイタリア式のスタンディングバーでした。ですが、居心地をよくするためにソファなどを用意するなど、様々な改善を繰り返し、長年の試行錯誤の結果、現在のスタバの店舗ができあがりました。
シュルツ氏がスタバを創業するにあたりイタリア的な店舗をそのまま持ち込んでも、米国の顧客にはそのままでは受け入れられなかった。そこで、顧客のための居心地のよさを突き詰めて、価値を生み出しました。
創業者が顧客にどういう価値をつくりたいと思って事業をつくったのか。それが明文化されてない企業は多いのですが、そこにこそブランドの本質があります。
ですが、こうしたスタバの起源を知る人は減っています。田中先生は「起源の忘却」と名付けて指摘されていますが、本来ブランドとは試行錯誤の末につくられたものです。
「起源の忘却」でブランドの強さを喪失
田中 シュルツ氏はカフェを始めた当初は店内の音楽をオペラにして、メニューの表記をイタリア語にしていました。ですが米国の顧客とイタリアの顧客では、居心地のよさを感じるポイントが異なります。そこで改善を加えていき、今のスタバの姿になったと本人の著書に書かれています。
ブランドとはそういう色々な失敗をへて、徐々につくられているのはその通りです。本書(『ブランディングの誤解』)の中で指摘されている米アップルの広告の失敗事例は、大変貴重なご指摘だと思いました。あのアップルにしても、まっすぐ成功してきたわけではなくて、失敗を重ねて今があるということになります。
現在、強力といわれるブランドは長い時間をかけて市場で育ってきたものです。その結果だけを見て成功の要因を抽出することは困難です。西口さんが指摘されているように、第三者によるブランドランキングを眺めているだけでは何かを得ることはできません。
創業期にイノベーションによって顧客の支持を得たブランドは、当初は限られた人にしか支持されていません。この初期段階では、経営やマーケティングが重要です。
しかし、その後、ブランド名だけが市場の中で独り歩きをして著名になっていきます。この段階では、広告やプロモーションが大きな役割を果たします。マクドナルドや高級自動車の「メルセデス」はこのような歴史をたどってきたと思います。
ところが、ブランドは市場に拡大する段階で初期のイノベーションのありかが忘れられていくことになります。これを私は、起源の忘却と呼んでいます。
西口 創業期の思いが明文化できておらず、本質的な価値を見失うケースは多いです。ですが、中には創業時に生まれた価値を一貫できているブランドもあります。スポーツブランドの「ニューバランス」もその一つです。
本書でもブランディングの効果測定を説明するため、スニーカーブランドを対象に調査しました。その調査においても、多くの顧客からニューバランスのスニーカーは「履き心地が良い」「足にフィットする」といった点が圧倒的に評価されていました。根本的にはリピーターはこの点を強く支持しています。
そこで、ブランドの起源をたどったところ、靴の補整器具(インソール)にありました。1906年の創業時、創業者は靴をつくったのではなくて、労働者が働きやくなるために、既製品の靴を顧客の足に合わせるための補助から、事業を始めていたのです。
創業から50年以上たち、ようやく靴の製造に入ったのは1960年代です。その思いが、ニューバランスの社内でどう受け継がれているかは分かりません。ですが、今でもニューバランスのスニーカーは一般的なサイズ展開に加え、横幅のサイズもバリエーションがあります。人の足に合わせるという祖業の軸からぶれずに、各国で履き心地の良さを追求しています。
ブランドの体験を構成する要素として、多くの場合は、その創業に起因するものがあり、ブランドの根本的な価値はそこにあるのではないかと思います。
田中 非常に興味深い話ですね。以前、ラグジュアリーブランドで働く人と話していて、どういう人をブランド担当者として雇いたいから、「ブランドを理解している人を雇う」とおっしゃっていました。
創業のスピリットをそのままとはいかないかもしれませんが、再解釈しながら、時代に合わせて展開していくことはブランドにとって、とても大切です。

西口 ロクシタンの話に戻ると、創業者はもともとアーティストでした。プロヴァンス地域の植物から抽出したエッセンシャルオイルを、かわいい小瓶に詰めてギフトとして売ることから始めたものの、赤字続きでした。
その後、絵の具のチューブにハンドクリームを入れたらかわいいというアイデアを思いつき、売り出すと、それが大当たりしました。お土産として大人気となり、さらに共同創業者が加わり、投資を加速して世界中で大きく売り上げを上げました。
先ほど、かつてのグローバルチームがロクシタンはもはやギフトではない、と口にしていた話をしましたが、実はこれは祖業から離れる言葉です。創業者の発想で最初に顧客に受け入れられたのは、かわいいハンドクリームのギフ卜価値です。そこから派生して、スキンケア商品を薦めるのはかまいませんが、ブランドの存在価値や意味は、多くの場合、創業期にその秘密があるものなのです。
そこを考えずに、後の事業担当が、短期間の売り上げの視点で戦略を考えるのは非常にリスキーだと思います。もちろん、古い商品やこだわりに小さく閉じこもっているだけではなく、イノベーションは必要です。ですが、それは必ずしも創業の起源や理念を否定することではありません。
成功しているほとんどのブランドは必ず、創業期に得た成功のエッセンスが今でも保たれています。
スタバのシュルツ氏が目指したのは居心地のいい、コミュニケーションできる空間。決してイタリアのスタンディングバーでもオペラでもなく、顧客に合わせて居心地のよさを目的として最適化していったにすぎません。
成功企業に見る「ドリーマー」と「プラクティショナー」
田中 ロクシタンの話はおもしろいですね。私は「ドリーマー(夢想家)」と「プラクティショナー(実業家)」と呼んでいますが、アーティスティックなセンスの持ち主と、ビジネスセンスの持ち主が合致することがイノベーションには重要だと考えています。大成功した企業はソニーの盛田氏と井深大氏のような、ペアで創業していることが多い。
西口 アップルもそうですね。創業者の一人スティーブ・ウォズニアック氏は技術力を持っていましたが、商売する気がなく、基盤を無償で配っていました。これにスティーブ・ジョブズが目を付けたことが起業につながりました。
田中 ジョブズ氏は「僕たちは顧客の声は聞いていない」と言っていましたが、あるインタビューでは小売りや顧客に話を聞いているという発言もされていました。
そのときは話に一貫性がないという印象を受けましたが、今思えばジョブズ氏にとって一番の顧客像が自分だったのではないかと思います。確かに、「iPhone」は顧客の声を真に受けて、開発されたものではないでしょう。ですが、顧客の声を聞き、自分の中でそしゃくし、再解釈するプロセスをへて、生み出されたのではないでしょうか。
西口 私もアップルのファンで、ジョブズ氏の伝記や、取材記事も数多く読んできました。その中で、ジョブズ氏の顧客は自分自身ということを一貫していると感じています。
自分が欲しい商品をつくるために、傍若無人ともいえる経営をしてきました。その結果としての成功体験は強烈ですが、アップルも多くの失敗をしています。
アップルでCDO(最高デザイン責任者)を勤めたジョナサン・アイブ氏のデザインも、成功したのはごく一部です。アイブ氏がデザインを手掛けた「Power Mac G4 Cube」は最高傑作とされました。記者の取材に対し、ジョブズ氏は「デザイナーは一人残らず買うことになる」と答えたと言われていますが、発売からわずか1年で生産中止を発表しました。
ジョブズ氏はそうした失敗を積み重ねる中で、自分の中の顧客像を明確にしていったのではないでしょうか。私はマーケティングアイデアを得る上で、目的に合わせた一人の顧客を徹底的に掘り下げる「N=1」を提唱しています。ジョブズ氏にとって、そのN=1の対象こそが自分だったのだと思います。
まだ会員登録されていない方へ
会員になると、既読やブックマーク(また読みたい記事)の管理ができます。今後、会員限定記事も予定しています。登録は無料です






