
iTunes Pingは、Appleが2010年に発表した音楽ファン向けのSNS(ソーシャルネットワークサービス)でした。このサービスは、アーティストとファンを結びつけ、音楽を発見・共有するプラットフォームとして構想されました。しかし、スパムの横行、既存SNSとの競争、ユーザー体験(UX)の欠陥などの問題により、商業的には大きな失敗に終わり、2012年にサービスを終了しました。この失敗を通じて、Appleは「ソーシャルメディアには向いていない」「エコシステムの統合が不可欠」「新しいサービスはユーザー体験を最優先すべき」といった重要な教訓を学びました。これらの学びは、後にApple Musicの設計や、iPhoneのSNS統合戦略へと活かされることになりました。
iTunes Pingの開発と主導者
iTunes Pingの開発は、Appleのインターネットサービス部門を率いつつ、後に、MobileMeの立て直しでiCloudを成功させたエディ・キュー(Eddy Cue)の指導のもとで進められました。しかし、このプロジェクトは、スティーブ・ジョブズ自身が強く推進したものでした。ジョブズは、iTunes Storeの成功をさらに発展させるため、音楽ファンがアーティストと直接つながり、音楽を共有できるSNSを構築することで、Appleのエコシステムをより強固にしようと考えました。2000年代後半、AppleはiPodやiTunes Storeの成功によって、音楽業界における影響力を急速に拡大していました。iTunes Storeは、CD販売が低迷する中で世界最大の音楽配信プラットフォームへと成長し、Appleはデジタル音楽市場を支配する存在となっていました。しかし、同時期にFacebookやTwitterが急成長し、音楽の発見や共有の形が変化し始めていました。これに対し、ジョブズは「音楽発見のプラットフォームを自社で構築することで、ユーザーをAppleのエコシステムにより強く囲い込める」と考えました。
2010年:iTunes Pingの発表と市場の反応
Appleは、アーティストとファンを直接結びつけるSNSを作ることで、音楽を発見しやすくし、iTunes Storeの売上をさらに伸ばすという戦略を立てました。2010年9月に開催されたAppleのスペシャルイベントで「iTunes Ping」が発表されました。スティーブ・ジョブズは、iTunes Pingを「音楽業界におけるSNSの革命」と表現し、FacebookやTwitterとは異なる、音楽に特化したコミュニティを目指しました。iTunes Pingは、持つ新しい音楽体験として打ち出されました。特徴としては、アーティストとファンの直接的なつながりを作るために、ユーザーは好きなアーティストをフォローし、新曲のリリース情報やツアー情報を受け取れる仕組みが導入されました。さらに、ユーザー同士でお気に入りの曲やアルバムを推薦し合い、音楽の楽しみ方を広げることが可能になり、直接iTunes Storeから曲を購入できるように設計され、Appleのエコシステムを強化する狙いがありました。
サービス開始直後は、Appleのブランド力もあり、世界23カ国で1,600万人のユーザーが初日に登録するなど、スタートは順調に見えました。しかし、実際のユーザー体験はAppleの期待とは大きく異なっていました。iTunes Pingは、FacebookやTwitterと競争する形になりましたが、既存のSNSがすでに音楽発見の場として機能していたため、ユーザーが新たにPingを使う理由が乏しい状態でした。Appleは当初、Facebookとの統合を計画していましたが、マークザッカーバーグとの交渉が決裂し、PingはFacebookのネットワークを利用できない独立したサービスとなってしまいました。その結果、ユーザーはFacebookやTwitterとPingの両方を使う理由を見出せず、Pingは孤立した存在となりました。
Appleは、そもそもSNSの運営経験が不足していたため、スパム対策が不十分でした。リリース直後から多くのスパムアカウントが発生し、アーティストページやユーザーのフィードが広告投稿で埋め尽くされる事態となりました。特に、音楽とは無関係のリンクが投稿されることが多く、ユーザー体験(UX)が大きく損なわれました。結果的に、多くのユーザーが「Pingはスパムだらけで使いづらい」と判断し、サービスを離れることになりました。
このように、Appleの強みであるはずの「エコシステムとの統合」が、Pingではうまく活かされませんでした。iTunes Storeから直接Pingに投稿できる機能はあったものの、iPhoneやiPadの音楽アプリとは十分に連携しておらず、ユーザーの音楽体験全体に溶け込む設計にはなっていませんでした。Appleは、iTunes Pingの失敗を受けて、「Appleはソーシャルメディアには向いていない」という結論に達しました。そのため、2012年9月にiTunes Pingを正式に終了し、音楽とSNSの統合戦略を根本的に見直すことを決定しました。その後、SNS機能を自社で構築するのではなく、アプリを通じて、既存のSNSと連携しつつ利益を得るプラットフォームモデルへシフトしました。現在は、競合する音楽配信サービスも受け入れつつ、Apple Musicでは、SNS機能を最小限に抑え、FacebookやTwitterとの連携を強化しています。AppleはiOSやiCloudにおいて、UXの最適化とセキュリティの強化を徹底し、アプリを通じてのAppleのプラットフォームを通じたエコシステムは、より強固なものになっています。
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