5-1-16:Macintosh Portable(1989):Appleのモバイルコンピューター市場への挑戦

世界一のブランド解説 Apple 神話の検証
Macintosh Portableは、1989年にAppleが発表した初のポータブルMacでしたが、重量や価格の問題から市場で失敗しました。この経験を経て、Appleは軽量で使いやすいデバイスの開発へと方針を転換しました。
5-1-16:Macintosh Portable(1989):Appleのモバイルコンピューター市場への挑戦
Rama による著作物, CC BY-SA 2.0 fr, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=38880877による

Macintosh Portableは、ジョブズ不在期の1989年にAppleが発表した初のポータブルMacであり、モバイルコンピューティング市場への本格的な挑戦でした。しかし、重量が重すぎる、バッテリー持続時間が短い、高価すぎるといった問題を抱え、市場では受け入れられず、商業的には失敗に終わりました。この失敗は、Appleがモバイルデバイスに求められる「軽量性」「バッテリー最適化」「市場ニーズの理解」の重要性を学ぶきっかけとなり、後のMacBookシリーズやiPhoneの成功へとつながる基盤となりました。

Macintosh Portableの開発背景(1985年~1989年)

1980年代後半、パーソナルコンピューター市場は急速に成長し、より携帯性の高いノート型PCの需要が高まりました。IBMやCompaqなどの企業はすでにポータブルPC市場に参入し、モバイルコンピューティング市場を確立しつつありました。Appleは、この市場に対応するために「Macintoshのパワーを持ち運べる形で提供する」というコンセプトでMacintosh Portableの開発を開始しました。特に、ビジネスユーザーやエグゼクティブ向けのハイエンドデバイスとして設計され、Appleは「性能と品質にこだわった製品にする」ことを目標にしました。

1989年:Macintosh Portableの発表と市場の反応

Macintosh Portableは、当時としては画期的な技術を搭載していました。まず、アクティブマトリクスLCDディスプレイを搭載し、他のノートPCよりも視認性が高い設計となっていました。また、Apple初の完全バッテリー駆動のMacintoshとして、電源コードなしでも動作可能な点が特徴的でした。さらに、デスクトップ型と同じサイズのフルサイズのキーボードを搭載し、快適なタイピング体験を提供しました。しかし、発表当初の市場の反応は芳しくなく、特に携帯性と価格の面で競争力を欠いていました。当時のノートPC市場では、より軽量で安価なモデルが求められていたため、Macintosh Portableはそのニーズに適応できず、厳しい状況に直面しました。

Macintosh Portableは本体重量が約7.2kgもあり、「ポータブル」と呼ぶにはあまりにも重すぎる設計でした。競合のIBM PCやCompaqのノートPCは3~4kg程度であり、持ち運びに適した製品と比較すると、大きなハンディキャップを抱えていました。Appleは、ディスプレイやキーボードの快適性を追求するあまり、携帯性を犠牲にした設計をしてしまったのです。また、販売価格は約6,500ドル(現在の価値で約1万5000ドル、200万円以上)と、一般消費者はもちろん、企業でも導入が困難な価格設定でした。競合のポータブルPCは2,000~3,000ドル程度であり、コストパフォーマンスに優れていました。高額であったため、企業や個人ユーザーが導入する決断を下しにくく、市場での普及は進みませんでした。

さらに、Macintosh Portableは鉛蓄電池を使用していたため、バッテリーが非常に重く、持続時間も短いという課題を抱えていました。バッテリーが完全に消耗すると、電源コードをつないでも動作しなくなるという欠陥もありました。このような設計の問題が、ユーザーにとっての不便さを増大させました。AppleはMacintosh Portableを「デスクトップの持ち運び版」として開発しましたが、ユーザーが求めていたのは「持ち運びやすいノートPC」でした。フルサイズのキーボードや高解像度ディスプレイなど、デスクトップ並みの快適性を求めた結果、携帯性が大きく犠牲になり、市場のニーズに適応できませんでした。

CEOの意思決定

Macintosh Portableの開発が進められていた期間のCEOは、Appleの経営はスティーブ・ジョブズが採用していたジョン・スカリー(John Sculley)が引き続き担っており、彼の指導のもとでMacintosh Portableの開発が行われました。スカリーの経営は、Appleの経営を安定させることに注力し、ジョブズのような技術主導型の革新とは異なり、マーケティングを中心とした成長を推進するものでした。

当時、IBMやCompaqがポータブルPC市場に進出し、モバイルコンピューティングが成長しており、スカリーはAppleがこの市場に参入する必要があると判断し、Macintosh Portableの開発を承認しました。この決定は、Appleがビジネス市場にも対応できる製品を拡充するという戦略の一環でした。スカリーのAppleでは、プレミアム価格の製品を市場に投入することが戦略の一つで、Macintosh Portableも価格よりも品質と技術の高さを優先する製品として開発されました。しかし、これは当時のモバイルPC市場に適した価格戦略ではなく、Macintosh Portableが普及しなかった要因のひとつとなりました。

Macintosh Portableの開発は、ハードウェア部門を率いるジャン=ルイ・ガセー(Jean-Louis Gassée)が主導しました。スカリーは技術畑の人間ではなかったため、製品開発の詳細には関与せず、ガセーに大きな裁量を与えていました。ガセーは、「最高の技術を詰め込む」という理念のもと、高解像度のディスプレイ、大容量のバッテリー、デスクトップ級のキーボードを搭載した製品を設計しました。しかし、これが重量の増加や高価格化につながり、市場のニーズとズレる結果となりました。

スカリーはマーケティングの専門家でしたが、市場のニーズを正確に見極めることには成功しませんでした。彼はIBM PC互換機がビジネス市場を席巻する中、Appleの差別化戦略として高品質なMacintoshを開発することに注力しました。しかし、Macintosh Portableは「持ち運べるノートPC」を求める市場の声に応えるものではなく、「デスクトップを持ち運ぶ」ような設計になってしまいました。スカリーは「Appleはハードウェアとソフトウェアの一体化によって独自の価値を提供するべきだ」と考えていましたが、この戦略は、モバイル市場においては適応しづらいものでした。Macintosh Portableの販売が低迷すると、その学びを生かして、Appleは1991年により軽量で使いやすい「PowerBook」を開発しました。PowerBookは、Macintosh Portableの教訓を活かし、重量を大幅に削減し、バッテリー持続時間を改善するなど、より市場ニーズに合った製品となりました。スカリーはこの方向性を支持し、Appleのモバイル戦略を「携帯性重視」の方向へと転換しました。この決断が、後のMacBookシリーズやiPhoneの成功へとつながることになります。

まだ会員登録されていない方へ

会員になると、既読やブックマーク(また読みたい記事)の管理ができます。今後、会員限定記事も予定しています。登録は無料です


《西口一希》

Apple 神話の検証