5-1-4:神話の検証②:Macintosh発売と、テレビCM「レミングたち」

世界一のブランド解説 Apple
AppleのテレビCM「1984」は社会に多くの反響を呼び起こしましたが、肝心のMacintoshの販促では苦戦が続きました。続く CM「レミングたち」はCMそのものが批判を招いています。顧客のニーズを無視した広告戦略は失敗し、業績も低迷したことが示されたと言えるでしょう。
5-1-4:神話の検証②:Macintosh発売と、テレビCM「レミングたち」
スティーブ・ジョブズ(左)とジョン・スカリー

1984~1987年に展開されたCMの反応

前回紹介したテレビCM「1984」は、予期しなかった大反響と、それにも関わらず芳しくないMacintoshの売上から、さらに試行錯誤が続きます。

Appleは、Macintoshの売上低迷の要因としてソフトウェア不足を認識し、ビジネスサポート向けのMacintosh Officeの導入を目指していました。一方で、「1984」CMの大反響は成功であり、ソフトウェア不足を解決すれば売上は上がると考えて、Macintosh Office投入に向けて新テレビCMを開発しました。それが「レミングたち」です。翌年の1985年の第19回スーパーボウルで、「1984」同様に、新テレビCM「レミングたち」を展開しました。しかしネガティブな反応が大多数で、「1984」のような反響は得られませんでした。

(参照:Apple CM 「Lemmings」

「1984」は知っていても、この「レミングたち」を知らない方は多いですが、「1984」との関連で理解しておくべき事例です。

このCMは、集団で崖から落ちるとされるレミング(タビネズミ)のように、たくさんの人たちが崖からに飛びおりたあと、「1月23日、AppleはMacintosh Officeをリリースする」と言うナレーションが流れ、そこで、ひとりが絶壁の直前で立ち止まり、目隠しを外して空を見上げ、雲の陰から差す光を見る、そして崖へと進む人々の方を振り返って、「(新たな道を)覗き見ることも、あるいはこれまで通りを続けることも可能だ」とのナレーションが入ります。つまり、競合であるIBMと一緒に崖から落ちるか、Appleとともに生き延びるか、との意図です。

「1984」同様の反響を狙ったものの、このCMは顧客の関心を惹きつけることはなく、むしろユーザーを崖から落ちるレミングに例えることへの大批判を招きました。

さらに悪いことに、Macintosh Office自体も長らくリリースされず、結局は開発中止となっています。Appleは、Macintosh Officeで、同社のデスクトップ・コンピューターをレーザープリンターおよびファイルサーバーと組み合わせ、「未来のビジネスオフィス」を生み出すことを目指していたようですが、機器間でファイルの共有を可能にするファイルサーバーが完成しなかったことが要因のようです。その後のパーソナルコンピューターを使った仕事環境を早い段階で見通した見事なアイデアで、DTP(Desk Top Publishing)における成功の基礎となった技術ではありましたが、この時点では実現できなかったのです。

「1984」の共同制作者であり「レミングたち」のコピーライターを務めたスティーヴ・ハイデンは、このCMがスタジアムの巨大スクリーンで流れた際、会場はほぼ反応がなく、1年前の「1984」の大喝采とはまったく違ったと語っています。このCMに関してジョブズの語録は見つかりませんが、スタジアムの最前列で、この反応の違いを体験していたようです。

キャンペーン「Test Drive a Macintosh」の結果

この時期に、並行して行われていたマーケティング活動を取り上げます。1984年のMacintoshが「1984」の反響にも関わらず販売が期待外れで、翌年1985年1月の「レミングスたち」でのMacintosh Officeの発表を待たずに、別のテレビCMを伴った「Test Drive a Macintosh」キャンペーンが1984年11月に始まりました。当時のAppleのCEOは、元ペプシコCEOで有名なプロ経営者、ジョン・スカリーをスティーブ・ジョブズが採用していました。

この新キャンペーンは、スカリーが主導し、クレジットカードを持っている人に対し、地元の小売店でMacintosh を 24 時間「借りる」よう勧め、Mac(Macintosh)を返却するまでにMacのすばらしさに気づいてもらうことを目的にしました。

潜在顧客のほとんどは、世界初に近い先進的なGUI(グラフィカル ユーザー インターフェース)やマウスは認知しておらず、IBM 以外のコンピューターで作業したこともありませんでした。ジョブズは、このキャンペーンには関与せず、スカリー自身が主導したようです。その内容は、「1984」に比べて楽観的なのが特徴でした。

スカリーは、元ペプシコ社の社長時代に、伝説的なペプシ チャレンジ キャンペーンを実行し業績を上げていました。顧客にペプシコーラとコカ・コーラのブラインドテストへの参加を呼びかけるもので、Appleでの「Test Drive a Macintosh」も、同じように潜在的な購入者にMacを試してみる機会を与えるものでした。キャンペーン開始時、Appleはニューズウィーク誌の 1984年11 月選挙号の全40ページの広告に250万ドル以上を投じました。最後のページは、オファーを告知する折り込み広告でした。

このキャンペーンには約20万人が参加したようですが、Appleの小売店ディーラーからの評判はよくなかったようです。貸し出すには、販売の保証がないため、通常の販売以上に多くの書類手続きが必要でした。また、あまり在庫も持っていなかったので、貸し出しが多いと、顧客が Mac を購入しようとしたときに実際には店頭で Mac が入手できない可能性もあったのです。

(参照:Apple CM「Test Drive a Macintosh」

このキャンペーンでは、結果として28万台を売り上げたようですが、大規模な投資を伴ったものの、スカリーがペプシコで実現したような結果ではなかったようです。

伝説的な「1984」テレビCMでのMacintosh発売から短期間で失速、1984年11月からの「Test Drive a Macintosh」販売促進が期待には届かず、さらに、1985年の第二弾CMの「レミングたち」の失敗……というのがMacintosh Office開発の頓挫の結果です。1985年3月の時点で、Macintoshの売上は計画の10%しか達成できず、業績も株価も低迷しました。

この時期のジョブズの社内での素行はひどく、様々なプロジェクトに混乱を与えて社内で問題となっていました。結果、スカリーと取締役会はジョブズの実権を剥奪する決定を行い、会長職ではありましたが、実務には関与できなくなったのです。1985年2月には、自身のプロジェクトであるApple IIが評価されないことに不満を覚えていた共同創業者のウォズニアックが退社し、ジョブズも「1984」テレビCMオンエアの1年8カ月後となる1985年9月にAppleを退社します。

ジョブズのMacintoshの開発の経緯は、別途取り上げますが、「1984」からの「Test drive a Macntosh」「レミングスたち」のテレビCMキャンペーンの失敗からは今後取り上げていく、Appleの歴史で一貫して見える大きな示唆があります。それは「顧客は広告だけで商品を買わず、顧客は自分にとっての便益を買う」ということです。

別の見方をすれば、広告による興奮や熱狂は広告自体への興奮と熱狂であり、必ずしも広告対象となるプロダクトの購買につながるものではないということです。ここを見誤ると、テレビCMやキャンペーンへの投資は少なくとも短期では業績につながりません。また、スーパーボウルのCM放映には憧れがちですが、そのメディア枠自体が成功を約束するものではありません。最もシンプルでありながら、マーケティングやブランディングに関わる私たちが誤解しがちな事実です。

まだ会員登録されていない方へ

会員になると、既読やブックマーク(また読みたい記事)の管理ができます。今後、会員限定記事も予定しています。登録は無料です


《西口一希》

Apple