

スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックは、Appleの共同創業者として、Apple IやApple IIの成功によって、パーソナルコンピューター業界に革命をもたらしました。しかし、Appleが急成長するにつれ、二人のビジョンの違いが次第に明確になり、彼らのパートナーシップは次第に希薄になっていきました。
1976年、Appleはスティーブ・ウォズニアックが設計し、スティーブ・ジョブズが販売戦略を立てたApple Iによって誕生しました。続くApple II(1977年)は、最初の成功したパーソナルコンピューターの1つとなり、Appleは一気に成長軌道に乗りました。しかし、Appleが大企業へと成長するにつれて、ジョブズとウォズニアックのビジョンの違いが明確になっていきました。
ウォズニアックは純粋なエンジニアであり、「楽しみながら素晴らしい技術を作ること」に情熱を持っていました。プロダクト面では、彼が生み出したApple IIをさらに改善し続けることに執着し、新製品の開発にはほとんど興味を示しませんでした。Apple IIIやLisaなど、ジョブズが主導する新しい技術の開発に対しても、ウォズニアックは消極的な態度を取りました。
一方、ジョブズはAppleを「世界を変える企業」にしたいと考え、商業的な成功を最優先していました。彼は、ウォズニアックがApple IIの改善にばかりこだわり、新しいイノベーションに興味を示さないことに苛立ちを募らせました。次第に「ウォズは天才だが、未来を見ていない」「Appleは次の時代を作る会社なのに、ウォズは過去にとらわれている」と公然と批判するようになりました。
ジョブズは、製品の完成度やビジネスの成功に対して極めて強い意志を持ち、部下やパートナーに対して非常に厳しい態度をとることが多い経営者でした。彼は完璧主義者であり、従業員や共同創業者にも同じレベルの献身を求めました。Apple IIの開発時には、ジョブズはデザインやマーケティングに対する決定権を強く持ち、エンジニアたちにも徹底した指示を出しました。しかし、ウォズニアックはこの経営手法に不満を持ち、「会社は家族のようなもののはずだが、ジョブズのやり方は厳しすぎる」と感じるようになりました。
この対立の背景には、技術者としての自由を求めるウォズニアックと、商業的成功を優先するジョブズの意見の違いがありました。Apple IIの開発を終えたウォズニアックは、技術の発展よりも自分の楽しみを追求するエンジニアとしての道を選び、Appleの成長戦略に積極的に関与しなくなりました。
この違いは次第に亀裂を生んで行きましたが、1981年、ウォズニアックが飛行機事故で重傷を負ったことを機にAppleの経営から一気に距離を置くようになりました。彼は「会社の雰囲気が変わり、自分が楽しめる場所ではなくなった」と語っており、1985年には正式にAppleを退社しました。
ジョブズはより高性能なコンピューターを開発することに意欲を燃やし、ウォズニアックが関与しないまま、Apple IIIやLisaの開発を主導しました。しかし、Apple III(1980年)は、企業向けの高性能マシンとして開発したものの、設計の欠陥により大失敗しました。ジョブズの指示により、冷却ファンが取り外され、放熱問題が発生し、頻繁にシステムクラッシュが起こる欠陥がありました。企業市場では信頼性が最も重要な要素であるにもかかわらず、Apple IIIはその要件を満たすことができませんでした。
Lisa(1983年)は、世界で初めて、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を搭載した先進的なコンピューターでしたが、価格が高すぎたことと、市場の受容性を考慮しなかったことが原因で失敗しました。この間、ウォズニアックはAppleの意思決定に関与しておらず、経営面ではジョブズが主導していました。しかし、商業的な失敗が続いたことで、社内の経営陣との対立が深まり、最終的にジョブズ自身も1985年にAppleを追放されることになりました。
2人の創業者の関係の崩壊から得た教訓
① 創業者間のビジョンの違いが企業の成長に影響を与える
企業の急成長に伴い、技術者としての理想を追求するウォズニアックと、ビジネスの成功を重視するジョブズの間に亀裂が生じました。このようなビジョンの違いが、企業の戦略決定に影響を与えることは多くの企業で見られます。
② リーダーシップスタイルの調整が重要
ジョブズの強引な経営スタイルは、イノベーションを生む原動力となりましたが、一方でウォズニアックのようなエンジニアの自由を制限し、最終的には組織内の対立を引き起こしました。リーダーは、技術者の価値観を尊重しながらも、企業の成長に必要な方向性を打ち出すバランスを取ることが求められます。
③ 技術革新だけでは成功しない
Apple IIIやLisaの失敗は、技術的な革新だけでは市場に受け入れられないことを示しました。この教訓は、後のMacintoshやiPhoneの開発に活かされ、市場の受容性やUX(ユーザー体験)の最適化が重視されるようになりました。
スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズの初期の成功は、Apple IやApple IIによって築かれました。しかし、ビジョンの違い、リーダーシップスタイルの対立、技術革新だけでは成功しないという現実が、二人の関係を決定的に変えました。ウォズニアックはApple IIの改良にこだわり続け、新しい製品開発には関与しませんでした。一方でジョブズはApple IIIやLisaを主導しましたが、市場の受容性を見誤った結果、商業的な失敗が続き、最終的にはAppleを追放されることになりました。この事例は、企業の持続的成長には、創業者のビジョンの統一、リーダーシップのバランス、市場ニーズの理解が不可欠であることを示しています。Appleのその後の成功は、これらの失敗から学び、適切な戦略へと進化した結果だったのです。
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