成功とされているケースから学ぶ
Appleの歴史を時系列で検証する前に、マーケティングやブランディングの文脈で語られることの多いAppleの成功神話をいくつか取り上げ、私たちが何を学べるかという観点で検証していきたいと思います。
まずは、広告やクリエイティブに関わる方は必ず見聞きしたことのある伝説のテレビCMキャンペーンである、1984年に米国のスーパーボウルで投入され世界的に有名になった「1984」、スティーブ・ジョブズ復帰後の1997年からの「Think Different」、そしてAppleの成功要因として語られるデザインに関して振り返ってみます。
スーパーボウルで放送されたテレビCM「1984」
Appleの成功要因のひとつとして語られることの多い、Appleの最初のテレビCMキャンペーン「1984」に関する事実を見てみます。
このキャンペーンは、上場時から売上を支えてきたApple IIというパーソナルコンピューターの勢いが落ちてきて、その後を埋めるべく開発したマッキントッシュ(Macintosh)の発売に合わせて1984年に発表されたCMです。
このCMはMacintoshコンピュータの発売記念に、ジョブズが主導し、有名な映画監督のリドリー・スコットが制作したもので、広告の傑作として広告業界では必ず取り上げられます。SFのベストセラーであったジョージ・オーウェルの小説『1984』の世界観を基にして、商品を見せず、具体的に説明しないことで人々に印象を残し、広告史に名を残しています。
当時のコンピューター業界の圧倒的なメーカーであったIBMを“仮想敵”に見立てて、Appleを”解放者”として打ち出した映画のようなCMです。1984年1月22日の全米で放送される第18回スーパーボウルのCMのひとつとして9000万人の視聴者の前で放映され、大反響を呼び、多くのテレビ局がニュースで取り上げることで多くの方が目にすることになりました。
広告メディアとして有名な「アドバタイジング・エイジ」誌は、これを「この10年で最高のコマーシャル」と評し、1984年にカンヌ国際広告祭でグランプリ受賞、グラン・エフィ賞、CLIO賞、ベルディング賞を受賞。その後、1995年にCLIOの殿堂入り、アドバタイジング・エイジ誌のアドバタイジング・オブ・ザ・デケードに選出、さらに2003年には、世界広告主連盟から過去50年間で最も優れた広告に贈られる「ジュビリー・ゴールデン・アワード」と、50周年を記念して殿堂入りを果たした3つの賞が贈られました。
こうして、「1984」は世界中の広告業界、マーケティング業界で知られることになりました。40年以上経った現代においても、ドラマティックな見応えのある内容で、ブランディングCMの理想として語られることも多いです。
(参照:Apple CM「1984」)
ジョブズは、Macintoshの発表時に「MacintoshがApple II、IBM PCに次ぐ第3の業界標準になると期待している」と述べています。また、スーパーボウル直後の1月30日のBoston Computer Society General Meetingでも、IBMを敵として位置付け、AppleそしてMacintoshが“解放者”であるプレゼンテーションを意気揚々と行っています。
(参照:スティーブ・ジョブズによるMacintoshの紹介プレゼンテーション)
また、後にジョブズに代わってCEOとなるジョン・スカリーの2019年のBusinessInsiderのインタビュー記事では、以下のように、その興奮が語られています。
Business Insider 記事「When Apple cofounder Steve Jobs first saw the ad, his reaction was, "Oh s--t. This is amazing," former Apple CEO John Sculley told Business Insider.」のWisdom-Betaによる和訳(一部)
「ジョブズ氏が初めてこの広告を見た時の反応は『うわー、すごい。これはすごい』だった。一方、Appleの取締役会は、この広告を見て、大嫌いだという反応を見せたがった。しかし、アップルの共同創業者スティーブ・ウォズニアックはこの広告を気に入り、Household Nameに『どんなSFの予告編よりもすばらしい』と語った。取締役会がこのCMを否決したことを知ったウォズニアックは、スーパーボウルでこのCMを放映するのにかかる費用の半額にあたる40万ドルを自腹で支払うことを申し出た。」
「しかし、お金が問題だったわけではない。このコマーシャルが放映できた唯一の理由は、Chiat/Day(シャイアットデイ・広告代理店) が購入したスーパーボウルの広告枠をすべて売り戻すことができなかったからだ(AppleはCM用のメディア枠をキャンセルしたかった)。購入した 3分間の広告時間のうち、Chiat/Day が売り戻すことができたのは2分だけだったため、Apple は依然として最後の 60 秒の広告枠を埋める責任を負っていた。」
「あまり知られていないが、実は1984年の Apple のコマーシャルがテレビで放映されたのはスーパーボウルが初めてではなかった。このコマーシャルはビッグゲームの前に地元のテレビ局で数回放映されたが、それらのスポットはあまり注目されなかった。広告代理店が放送前にフォーカスグループにこの広告を見せた後、この広告はほとんど放送されなくなった。人々はこの広告を嫌悪し、(ナチスドイツの)強制収容所を思い起こさせるという人もいた。広告代理店はフォーカスグループの結果を Apple に見せる代わりに、隠すことにした。」
この広告は1984年のスーパーボウルのハイライトとみなされ、多くのメディアの注目を集めた。Chiat/Dayは、テレビ局によるこの広告の報道と放映により「Appleは約4,500万ドルの無料広告収入を得た」と推定している。
このインタービューを解釈すれば、創業者であったジョブズとウォズニアックは、このCMが気に入ってたものの、取締役会の否決でお蔵入りが決まっていた。悪い消費者調査の結果もあったが、代理店はそれを隠してAppleに知らせなかった。すでに購入していたスーパーボウルのメディアをキャンセルしたかったが、すべてをキャンセルすることはできず、当初の予定以下の量で放映したら大きな反響となり、PR効果が非常に大きかった、ということです。
「冷却ファン」はAppleの美学に合わない
大反響となった「1984」の放映から2日後の1月24日に発売された初代Macintoshは、当初は売れましたが、結果としては期待に遠く及ばず、Appleの業績は悪化しました。Macintoshにはプロダクトとしていくつかの問題がありました。第1に、専用ワープロソフトの「MacWrite」と「MacPaint」の2つのアプリケーションが同梱されていましたが、当時としては非常に新しいGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を中心としたOSなので、既存のテキストモードやコマンド駆動のアプリケーションはそのまま使えなかったのです。GUI対応するためにソフトウェアを書き換える必要がある状態で、実質的に使えるソフトウェアが不足した状態でした。
後追いで、発売から3カ月後の1984年4月に、マイクロソフトがExcelの前身となる表計算ソフトの「Microsoft Multiplan」を追加しましたが、CMでの大反響から1984 年5月初旬までに7万個しか出荷されませんでした。
第2にメモリ容量が小さすぎて、ソフトウェアを入れると空きメモリが少なく、ドキュメントやデータセットを作るたびに外部メモリ(当時はフロッピーディスク)に移す必要があり、実質的に仕事に使える仕様ではなかったのです。
さらに、当初の設計にあった冷却ファンを、ジョブズのこだわりで取り外した状態で仕様決定して出荷したので、熱をもちトースターのように熱くなる問題がありました。ジョブズはAppleのプロダクトの美学に、音を出す冷却ファンは合わないと考えていたようで、Macintosh以降のプロダクトにおいてもジョブズが取り外したことで問題を発生させています。
テレビCM「1984」は圧倒的な反響と興奮を生み出しましたが、当時のビジネスへの貢献は見られません。CMへの熱狂とは裏腹に、出荷は失速し業績は上がらず、売上も株価も1986年まで低迷しました。
しかし、「1984」は、その後何十年にも渡ってマーケティング業界や広告業界で語れ続けている事実からすると、その後のAppleの従業員や広告代理店をはじめとするAppleのビジネスパートナーのモチベーションや採用に好影響などの貢献があったともいえます。つまり、社内外のステークホルダーへ、今後、Appleが目指すビジョンやミッションを浸透させ、その後の未来へつないだCMだったとも解釈できます。
マーケティングやブランディングには、成功の秘訣やノウハウが大量に存在しますが、事実を持って検証すれば、その解釈が大きく異なってくることが多くあります。マーケティングやブランディングに対して短期での業績貢献を期待するなら、このAppleの「1984」は不適切な事例といえます。マーケティングにしろブランディングにしろ、その目的を明確にし、参考とする事例を単純に鵜呑みにするのではなく、その事例が目的に適切なのかどうかを検証して活用する必要があります。
まだ会員登録されていない方へ
会員になると、既読やブックマーク(また読みたい記事)の管理ができます。今後、会員限定記事も予定しています。登録は無料です