5-1-5:神話の検証④ 成功は歴史を修正する ―「Think different」制作の舞台裏

世界一のブランド解説 Apple
「Think different」に関して、広告代理店、クリエイティブ、広告主の関係を象徴する生々しいエピソードがあります。エピソードを読むと、クリエイティブの役割の重要性とともに、リーダーの強い意思決定がなければ実現が難しいこともわかります。
5-1-5:神話の検証④ 成功は歴史を修正する ―「Think different」制作の舞台裏
ギル・アメリオ(左)とスティーブ・ジョブズ

広告代理店とのエピソード

ここまで「1984」「Think different」に関して解説しましたが、「Think different」の開発に関して、広告代理店、クリエイティブ、広告主の関係を象徴する生々しいエピソードがあります。

このキャンペーンに関わった広告代理店のTBWA \ Chiat \ Dayは、Appleの守秘義務を遵守して具体的経緯の公表を一切していませんが、2つの情報源があります。ひとつは、一般的に知られているウォルター・アイザックソンによるスティーブ・ジョブズの有名な伝記です。その中では、ジョブズが「Think different」に積極的に関わり開発したことを振り返っています。

この内容に対して、「Thinnk different」に関わった元TBWA \ Chiat \ Dayクリエイティブ ディレクターのロブ・シルタネンが2015年に寄稿した「The Real Story of Apple's ‘Think Diffrent’ Campaign」という記事では、「伝記の内容は事実とは異なる」といった告発的な内容が記されています。今回の記事では一部引用をしています。

概要としては、1997年にスティーブ・ジョブズがAppleに復帰し、暫定CEOとして会社の再建を図ることになりましたが、Appleは深刻な経営危機に陥っており、広告キャンペーンも検討していました。複数の代理店にAppleから提案の依頼があり、この寄稿のロブ・シルタネンは、当時TBWA \ Chiat \ Dayのクリエイティブディレクター兼マネージングパートナーで、その代理店のひとつとしてAppleへの売り込みに取り組んでいたそうです。

ロブ自身、売り込みのために行われたすべての作業を指揮し、ジョブズとの代理店ミーティングにすべて出席し当時のメモを残していたそうです。この告発文的な寄稿の理由は、ウォルター・アイザックソンの書いたスティーブ・ジョブズの伝記で、ジョブズが「To the crazy ones」の発売コマーシャルの多くを考案し書いたと事実ではない示唆をし、それは良くない歴史修正だと判断したからだそうです。ロブ自身の言葉の一部を紹介します。(※翻訳はWisdom-Beta編集部)

スティーブは、広告やアップルのビジネスのあらゆる側面に深く関わっていました。しかし、彼は有名な「Think different」の立役者からは程遠い存在でした。実際、彼は、アップルがビジネス史上最大の企業転換を達成する上で最終的に重要な役割を果たすことになるこのコマーシャルに対して、あからさまに厳しい態度を取っていました。

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ジョブズに提示したオリジナルの「To the crazy ones」の脚本をジョブズが当初「クソ」と呼んだにもかかわらず、最終的にすべてそのまま残りました。

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有名な「Think different」というフレーズと、そのフレーズを先見者たちの白黒写真と組み合わせるというすばらしいコンセプトは、当時 TBWA \ Chiat \ Day のアートディレクターを務めていた、並外れたクリエイティブな人物であり、親友でもあるクレイグ・タニモトという人物によって考案されました。

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私はスティーブ・ジョブズと、彼が妻や子供、妹に示した温かさと愛情について、多くのすばらしい記事を読みました。彼のスタンフォード大学卒業式のスピーチは、私がこれまで聞いた中で最も感動的で刺激的なスピーチのひとつです。スティーブは驚くべき先見の明のある人物であり、彼を世界最高の業績を残した人々の何人かと比較するのはまったく当然のことだと思います。

私はスティーブに関する批判的な発言も多く読んできました。そして、彼の厳しい叱責と激しい怒りを直接見て経験したと言わなければなりません。それは何人かの他の人に向けられたものもあれば、真っ向から私に向けたものもありました。それは見苦しいものでした。私はスティーブのすばらしい業績と並外れた情熱を大いに尊敬していましたが、彼のしばしば攻撃的で見下した性格にはあまり我慢ができませんでした。私の意見では、この点においてリー・クロウは大いに称賛されるべきです。リーは単なる創造的な天才ではありません。ジョブズと働く中で、彼は聖人のような忍耐力を持っていました。

スティーブ・ジョブズとはどんな人だったかとよく聞かれますが、私はよく、ミケランジェロ、ミース・ファン・デル・ローエ、ヘンリー・フォードを混ぜたような人物、ジョン・マッケンローとマキャベリを少し加えたような人物だと説明します。スティーブは猛烈な情熱の持ち主で、執拗で自信に満ちた天才が舵を取っていなければ、Apple が「笑いもの」から「夢見る株」に急速に変貌することはあり得なかったでしょう。しかし、スティーブ・ジョブズは1人で Apple を立て直したわけではありません。多くの才能と献身的な人々が重要な役割を果たし、その立て直しは「Think different」という広告キャンペーンから始まりました。

実務として可能な意思決定は何か

何が事実で、何が事実でないのかをすべて確かめることはできませんが、この告発的な内容は、経営的に広告投資など許容され難い時期に、「Think different」がなぜ生まれたかを想像するに、現実的かつ説得力あるエピソードです。これが事実であってもジョブズの功績は何ら変わりません。しかし、マーケティングやブランディングの成功要因が後解釈で歪められると誤解が広がりかねないという事実、そして広告代理店が担うクリエイティブの役割がどれだけ重要か、心を動かすクリエイティブとはどんなものかがわかります。また、一方で、いかに強いクリエイティブであっても、その採用は売上と利益に責任を持つ広告主にとって非常に困難で、リーダーによる強い意思決定がなければ実現するのは難しいこともわかります。

少なくとも、天才的なスティーブ・ジョブズが「Think different」を実行してAppleは瀕死の状態から大復活を遂げた、とする表面的な捉え方では学ぶことはありません。ドラマとしては面白いですが、ジョブズのような天才になれといわれてもなれません。私たちが学ぶべきは、経営、マーケティング、クリエイティブ、そして広告主、広告代理店、クリエイティブのそれぞれの役割とそれぞれの限界を理解した上で、実務として可能な意思決定が何かです。その意味で、このロブの寄稿は生々しくも非常に参考になると思います。

最後に原文の中から、Appleが倒産するかもしれない多大なプレッシャーの中で、そもそもやる気もなかった大キャンペーンをジョブズが迷いつつも、そのポテンシャルを感じて意思決定する部分を紹介します。

ジョブズはプレゼン中は沈黙していたが、最初から最後まで興味をそそられているようで、いよいよ彼が話す番になった。

彼は「Think different」の看板で埋め尽くされた部屋を見回し、「これはすごい、本当にすごい…でも私にはできない。みんなすでに私をエゴイストだと思っているし、Apple のロゴを天才たちと一緒に掲げたらマスコミに攻撃されるだろう」と言った。

部屋は完全に静まり返っていた。「Think different」キャンペーンは私たちが使える唯一のキャンペーンだったので、私たちは確実にダメだと思った。

するとスティーブは立ち止まり、部屋を見回し、まるで独り言のように大声で言った。「私は何をしているんだ? いい加減にしろ。これは正しいことだ。すばらしい。明日話そう」。ほんの数秒のうちに、私たちの目の前で、彼は完全に態度を変えた。

(原文:The Real Story of Apple's 「Think different」)


《西口一希》

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