5-1-4:神話の検証③ ジョブズの復帰と、テレビCM「Think different」

世界一のブランド解説 Apple
ジョブズ復帰後の「Think different」キャンペーンは、Appleのブランド強化を目指し多くの賞を受賞しました。ですが、短期的な業績向上にはつながらず、結果的に長期的なビジョンと価値観を共鳴させる試みになりました。
5-1-4:神話の検証③ ジョブズの復帰と、テレビCM「Think different」
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伝説的なキャンペーン「Think different」

1985年から1996年までのジョブズの不在期を飛ばして、ジョブズ復帰直後から始まったAppleの有名なもうひとつのテレビCMキャンペーン「Think different」を取り上げます。

1985年にAppleを追われたジョブズが、12年後の1997年に復帰した年に行われたキャンペーンが「Think different(シンク・ディファレント)」です。前述した「1984」と同様に、マーケティングや広告業務に携わったことがある方は、一度は目にする伝説的なキャンペーンです。ブランディングの理想として紹介されることが多く、経営者やCMOや広告代理店が、目指すべきブランディングとして取り上げることが多いです。

当時Appleの後を追ってIBMがパーソナルコンピュータ市場に参入し、ビジネス業界での強みを生かしてパソコン市場を席巻しつつありました。パソコン市場で先行していたはずのAppleはIBMの参入によって厳しい状況に追い込まれていたのです。

このキャンペーンは、ジョブズの復帰に合わせて、AppleがIBMよりも賢明な選択肢であると提示しようとするもので、非常に大きな話題を呼び、1998年のエミー賞最優秀広告賞や、アメリカで最も効果を上げたキャンペーンとしての2000年のグランド・エフィー賞(Grand Effie Award)など数多くの賞を受賞しています。

また、「1984」「レミングスたち」とは異なり、テレビCMだけでなく平面広告(ポスターや新聞雑誌への広告)も含まれました。なおテレビCMには30秒版と60秒版が存在し、一部はジョブズ本人がナレーションを担当しています。CMは、20世紀に活躍した17人の象徴的人物として、アルベルト・アインシュタイン、ボブ・ディラン、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、リチャード・ブランソン、ジョン・レノン(オノ・ヨーコと共に)、リチャード・バックミンスター・フラー、トーマス・エジソン、モハメド・アリ、テッド・ターナー、マリア・カラス、マハトマ・ガンディー、アメリア・イアハート、アルフレッド・ヒッチコック、マーサ・グレアム、ジム・ヘンソン(カエルのカーミットと共に)、フランク・ロイド・ライト、パブロ・ピカソが取り上げられています。

(Wisdom-Betaによるナレーションの和訳)

「クレイジーな人たちがいる。はぐれ者、反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人たち。彼らはルールを嫌い、現状に満足しない。彼らを引用するのも、反論するのも、讃えることも、けなすこともあなたの自由だ。ただ、1つだけできないのは、彼らを無視すること。なぜなら、彼らは物ごとを変えてしまうからだ。彼らは人類を先へと押し進める。人によっては彼らをクレイジーだと言うかもしれないが、我々は彼らを天才だと思う。なぜなら世界を変えられると本当に信じている人達こそが、世界を変えているのだから。」

(ナレーション)

「Here’s to the crazy ones. The misfits. The rebels. The troublemakers. The round pegs in the square holes. The ones who see things differently. They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them.

About the only thing you can’t do is ignore them. Because they change things. They push the human race forward. While some may see them as the crazy ones, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.」

(参照)

Apple CM 「Think Different」

広告の評価と、業績に貢献するかは別

この時期のジョブズの復帰と社内の大混乱は、別途、詳しく深掘りしますが、ここでは概略だけ説明します。

まず、当時のApple CEOだったギル・アメリオが、Appleがビジネス低迷から脱却するために独自OSが必要だと判断し、ジョブズがApple退社後に経営していたNeXT社の技術を手に入れる決断をしました。交渉の結果、その買収が成立し、1997年にジョブズが、NeXT社とともにAppleに非常勤顧問という形で復帰しました。同時期に、Appleの共同創業者であったウォズニアックも非常勤顧問として復帰しています。

しかし、ジョブズは、同年6月にはAppleの株式を一株だけ残してすべて売却しています。この事実はあまり語られませんが、ジョブズが直面していた当時のビジネス状況は非常に悪く、絶望、少なくとも悲観していたことがうかがえます。

ただし、悲観しながらも、その後ジョブズはアメリオをCEO辞任に追い込み、当時の役員のほとんどを退任させるなど、非常に多くの変化と混乱を起こしています。そして、ジョブズは暫定CEOに復帰する一方で「Think different」のキャンペーンを開始しています。

このような苦境の中で生まれた「Think different」キャンペーンは広告史に残るほど話題になり、現在でも成功を導いた広告やブランディング、マーケティングの文脈で必ず語られます。しかし「1984」キャンペーン同様に、このキャンペーン開始後の売上を見ると、開始年度は前年を下回り、翌年1998年に発売したiMacのヒットで2000年に一時的に上昇するものの、その後、1997年をさらに下回るほど低迷しています。この事実から考えると、前述したアメリカで最も効果を上げたキャンペーンとしての2000年のグランド・エフィー賞受賞は、広告の評価であって、決してビジネスの結果ではないことがわかります。

Appleの売上の再成長は、1997年の「Think different」から5年後、2001年後半にiPodを発売後の2002年から始まりました。その後、2003年に音楽ソフトが直接購入できるiTunes Store、2006年のMac Pro、MacBook、MacBook Pro、2007年のiPhone、2008年のMacBook Air、2010年のiPadの発売といった継続的なプロダクトの成功が続き、2013年に世界一のグローバルブランドになるのです。

つまり、「Think different」は、名だたる広告賞も取りながらも、キャンペーン実地後の数年間に明らかな業績貢献はありません。業績向上が目的なら明らかな失敗です。しかし、目的が、数年をかけたAppleの成長につながった数々のプロダクト開発に関わるAppleの従業員やビジネスパートナーへのビジョニングと、モチベーション向上(優秀な社員の離職防止含む)、そして新たな優秀な従業員の採用であれば、大きな効果があったといえます。

長期的なビジョン実現へ向けた意思と胆力

「Think different」キャンペーン完成直後の1997年9月に、Apple社内会議でのキャンペーンを発表したジョブズのスピーチ動画が残っています。苦境のAppleをどのようにジョブズが評価して、どんな改革を進めているか、そして「Think different」が何なのか、さらにジョブズのマーケティング観を語った貴重な動画なので、ぜひ、じっくりご覧になっていただきたいです。

このスピーチで、ジョブズは「Think different」に多大な期待をしていることがわかります。しかし、意図的なのかどうかはわかりませんが、顧客の獲得を目指す短期での業績回復も、長期的な従業員含めたステークホルダーのビジョニングも含めて目的として語っています。結果は、キャンペーン開始後も業績は回復せず、5年を経て新たなプロダクトの成功により業績が回復したので、前半の目的は達成せず、後半は大いに達成したといえるかと思います。

いかにジョブズが強気でも、「1984」や「レミングスたち」で業績がまったく良くならなかった実体験からも「Think different」だけで業績回復ができるとは思っていなかったでしょう。なぜ、ジョブズが絶望的なビジネス状況で、短期結果に貢献する可能性は低いとわかっているのに、「Think different」のようなキャンペーンを開発し実行したのかは、単なる広告評価以上の示唆があると考えます。

ジョブズは復帰したとはいえ、業績が絶望的な中で、投資家、従業員やビジネスパートナーに対して「短期結果は出ませんが、長期結果のために『Think different』への投資を進めます」とは、流石に言葉にはできないでしょう。短期では、結果は期待できず、むしろ費用だけかかることは、わかっていても語るはずがありません。

ジョブズの真意を確かめることはできませんが、ジョブズは絶望から脱却する唯一の可能性を切り開くために、短期業績にはむしろマイナスになると知りつつ、従業員、未来の従業員、外部のステークホルダーの力を結集するビジョンと価値観の定義として、この「Think different」を実行したのではないかと思います。

まさに、結果を見れば、このスピーチで語っているAppleは数々の魅力的な新プロダクトとともに10年を経て復活し、ジョブズが語った「Think different」なAppleは実現し大成功しています。しかし、10年かかったのは事実です。「Think different」がマーケティングやブランディングの成功事例として語られるべきは、事実として短期的な業績向上ではまったくなく、また、そのクリエイティブのすばらしさ云々以上に、失敗してれば稀代の詐欺師的な扱いをされかねない、長期的なビジョン実現へ向けたトップとしてのジョブズの意思と胆力なのではないでしょうか。

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《西口一希》

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