

Macintoshは、スティーブ・ジョブズとは別のリーダーによって、1981年に開発がスタートしており、ジョブズは、Lisaが頓挫し始めた頃から介入しはじめ、前任を追い出してGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を導入する形で開発を進めました。
一般には、Macintoshが世界初のGUI搭載のコンピューターと思われがちですが、実は、Lisaこそが、Appleが1983年に発表した世界初のGUI搭載パソコンでした。しかし、Lisaは、実際に販売されると機能不足や価格の高さが問題となり、市場で受け入れられず、Apple内部では「次の戦略をどうするか」を巡って対立が発生しました。この対立の中で、ジョブズは、Lisaチームを見限って、MacintoshがLisaの後継機として開発されることになりました。
1984年に発売された初代Macintoshですが、Lisa同様に高価格、性能不足、ビジネス市場の理解不足といった要因により商業的には長らく苦戦し、その後のMacintoshシリーズは試行錯誤を繰り返しながら徐々に進化していきました。
革新的な広告「1984」
1984年1月にAppleはMacintoshを発表し、「1984年に、IBMの独占を打破する革命が起こる」というメッセージを込めた伝説的な広告「1984」CMをスーパーボウルで放映し、大きな話題を呼びました。このCMは、MacintoshがIBMに対抗する革新的な製品であることを強調し、パソコン市場を変える革命的なデバイスであるという期待を高めました。発表イベントでは、ジョブズが観客の前でMacintoshを披露し、世界初のGUIとマウスによる操作をデモンストレーションしました。観客は熱狂し、Macintoshの未来に大きな期待を寄せました。しかし、発表当初の反応は非常に良かったものの、実際の市場での販売は思うように伸びませんでした。
初代Macintoshの失敗要因
Macintoshは革新的な製品でありながらも、以下の理由で商業的には苦戦しました。課題は価格の高さと性能不足でした。Macintoshの価格は約2,500ドルであり、当時のIBM PC(1,500ドル~3,000ドル)と比較すると高価でした。企業市場でも、Macintoshは高価格であったにもかかわらず、業務用ソフトウェアのラインナップが不十分であったため、なかなか採用されませんでした。また、Macintoshに搭載されたCPU(Motorola 68000)は、当時としては先進的でしたが、動作はもたつき、スムーズなユーザー体験を提供するには不十分でした。
さらに、メモリ(128KB)が少なく、複雑な処理をこなすのが難しい状況で、ハードウェアの拡張性が低かったため、後から性能を向上させることができず、多くのユーザーが実用的な選択肢としてMacintoshを避けることになりました。Macintosh用のソフトウェアも不足しており、企業が導入する理由が少なかったのです。IBM PCは企業市場での標準規格になりつつあり、多くのソフトウェアが開発されていましたが、Macintoshは独自路線を進んでいたため、企業のIT部門に受け入れられませんでした。
さらに、Apple内部の対立とジョブズの退社も大きな影響を与えました。Macintoshの販売不振により、Appleの経営陣は「ビジネス向けのIBM互換機の開発が必要」と主張しましたが、ジョブズは「Macintoshこそが未来だ」と譲らず、社内で対立が深まりました。その結果、1985年、取締役会はジョブズの影響力を排除し、彼はAppleを追放されることになりました。
Macintoshシリーズの試行錯誤と進化
ジョブズがAppleを去った後、AppleはMacintoshシリーズの改良を続けましたが、大きく育つまでは長い試行錯誤の連続でした。数々の改良強化を加えながら、1987年にはMacintosh IIを発表し、カラー対応と拡張性の向上を実現しましたが、普及には時間がかかりました。1989年にはApple初のラップトップであるMacintosh Portableを発売しましたが、7kgという重量がユーザーに敬遠され、成功には至りませんでした。
1991年にはPowerBookを発表し、ポータブル市場の開拓に成功しました。1994年にはPowerPCを搭載したPower Macintoshを投入しましたが、Windowsとの互換性の問題が課題となりました。1990年代においても、Macintoshの試行錯誤が続き、Appleの売上成長は鈍化しました。1995年のマイクロソフトのWindows 95の成功により、Macintoshは市場シェアをさらに失い、Appleは経営の危機に直面しました。そして、1997年にスティーブ・ジョブズがAppleに復帰し、iMacを発表することで、再び消費者市場にターゲットを絞った戦略へと転換しました。
初代Macintoshは、GUIの普及という歴史的な意義を持つ製品でしたが、理想に対して開発が追いつかず、価格の高さ、性能不足、エコシステムの欠如が原因で短期の売上はあったものの長期的には不振が続きました。しかし、このようなLisaの失敗とMacintoshの試行錯誤からAppleは市場に適応する戦略を学び、革新を追求しながらも、市場に適応する柔軟性を持つことの重要性を学んだと思われます。
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