3-4-2:AIが解体する「距離」と経済の未来:営業・マーケティングの役割変革と日本が掴むべき新たな成長機会

AIの進化は営業・マーケティングの役割を変え、「距離」の解消を通じて経済全体に影響を与えます。生産性向上と経済縮小のパラドックスの中、日本はこの機会を活かし、競争力を高めることが重要です。
3-4-2:AIが解体する「距離」と経済の未来:営業・マーケティングの役割変革と日本が掴むべき新たな成長機会

これまでの解説では、2025年のGoogle Marketing Live(GML)を起点として、AI技術がいかにマーケティングにおける顧客(WHO)とプロダクト(WHAT)の間の「5つの距離」を解体し、それによってN1分析、ポジショニング、プロダクト戦略、ブランディングといったマーケティングの根幹を揺るがす4大マーケティング変革が起こりうるのか、そしてその変革の波の中で私たちマーケターの役割やスキルがいかに進化していくべきかについて詳述してまいりました。

今回は、その視点をさらに広げ、AIの進化がマーケティングや営業活動の変革に留まらず、経済全体の構造や価値創造のあり方にどのような大きな影響をもたらすのか、そしてその中で私たちは今後何を見据え、何をなすべきなのか、というよりマクロなテーマについて考察を深めていきたいと思います。

AIによる「顧客とプロダクト間の『距離』」の消滅と、営業・マーケティングの歴史的役割の終焉

本連載で繰り返し述べてきたように、マーケティングや営業に関わる活動の本質は、顧客(WHO)とプロダクト(WHAT)の間に存在する様々な「距離」――プロダクトの認知、コミュニケーション、流通、取引、そして潜在ニーズの自覚という5つの距離――をいかに効率よく、効果的に縮めるか、という点にありました。

ここで重要なのは、WHOとWHATの距離を埋めるという役割は、マーケティングだけでなく、むしろ歴史的に見れば営業組織がその多くの役割を担ってきたという事実です。18世紀くらいまでは、世界のビジネスのほとんどは、比較的、生産能力が小さく、商圏も地域や国に縛られていた小規模な事業が中心だった時代でした。

それが18世紀以降の産業革命によって、商品(WHAT)の大規模な大量生産が可能になりました。同時に、交通手段や物流網の発達は、販売可能な地域を飛躍的に拡大させ、国境を越えて潜在顧客(WHO)と出会う可能性を広げました。この拡大する潜在的なWHOと、大量生産されるWHATとの間に必然的に生じる大きな「距離」を埋めるために、人間が担う「営業」という機能が組織として拡大・強化されてきたのです。足で稼ぎ、様々な移動手段や連絡手段を駆使し、人間関係を構築し、情報を伝え、契約を取り付けるという営業活動は、まさにこの広大な「距離」を克服するための最前線でした。

そして、マーケティングという概念や機能は、この営業活動をより効率的に、より広範囲に補完する形で、19世紀以降に誕生し発達したのです。市場調査によって顧客を理解し、広告や販売促進活動によって認知を高め、営業が見込み客にアプローチしやすくするための環境を整える、といった役割です。

しかし、AIの登場と進化は、これまで主に営業とマーケティングという二つの大きな機能が、多大な人的・物的資源を投じて担ってきたWHOとWHATの「距離」を圧縮し、最終的には消滅させる可能性を秘めています。これは、産業革命以来続いてきた「距離を埋める」という行為を前提としたビジネスモデルや組織構造のあり方そのものが逆転することを意味します。営業とマーケティングが担ってきた役割は根本から大きく変化し、それらをサポートしてきた間接部門や関連業務の役割もまた、ドラスティックな変容を迫られるでしょう。もちろん、AIを活用した新しい役割が生まれる一方で、既存の業務の多くは大幅に縮小し、あるいは消滅していく運命にあるのです。

AIは、顧客に関する膨大なオンライン・オフラインのデータを瞬時に、かつ複合的に分析し、個々のニーズや嗜好、さらにはその時々の状況や文脈までを深く予測し、最適なプロダクト情報を最適なタイミングで、最適なチャネルを通じて、まるで個別に語りかけるかのように直接提供できるようになりつつあります。

具体的に見てみましょう。まず、顧客の行動はリアルタイムで追跡・分析され、そのデータに基づいてAIが個別のニーズを自動的に予測するため、従来型の時間とコストを要した市場分析や定型的な報告業務の多くは不要になります。次に、AIが顧客一人ひとりの特性や過去の反応に合わせてパーソナライズされたメッセージやクリエイティブを自動生成し、最も効果的なチャネルやタイミングで配信するため、広告の企画・制作の大部分やメディアのプランニング・運用といった「コミュニケーション距離」を埋めるための業務は、その様相を大きく変え、限りなく効率化されゼロコストに近づいていくでしょう。

さらに、ECサイトの閲覧履歴や行動パターンからAIが顧客の購買意欲を的確に察知し、最もスムーズで摩擦のない購入プロセスへと自動で誘導するため、複雑なECサイトの機能開発や販売促進活動の多くはAIによって最適化され、大幅に簡素化されます。そして、AIによる需要予測の精度向上と物流システムの自動化・最適化が進むことで、サプライチェーン全体が効率化され、物理的な「流通距離」も最小限に抑えられるようになるでしょう。

究極的には、顧客自身がまだ明確に意識していない潜在的なニーズすらAIが先回りして特定し、まるでテレパシーのように最適なプロダクトやサービスが提示されるようになるため、従来のマーケティングや営業と名付けられていた活動の多くは、AIによって自動化・省人化され、その必要性自体が大きく薄れていくと予測されます。

生産性向上という光と、経済規模縮小という影の可能性

AIによってマーケティングや営業活動の自動化・省人化が極限まで進むと、これらの活動にこれまで費やされてきた莫大な人件費や多額の広告宣伝費、そして時には非効率的であった投資やリソース配分が劇的に削減され、費用対効果は飛躍的に向上します。つまり、優れたプロダクトを提供している個々の企業の視点で見れば、その生産性は間違いなく、かつてないレベルで高まることになるでしょう。

しかし、この現象をマクロな経済全体の視点から俯瞰すると、少し異なる側面が見えてきます。これまで私たちが「売上」や「経済活動」として認識し、GDPなどの経済指標に計上してきたもののかなりの部分は、実はこの「顧客とプロダクトの間を繋ぐための仕事や作業」、言い換えれば「距離を埋めるためのコスト」や、時には「無駄な投資や活動」そのものから生み出されていたという事実です。例えば、販売代理や広告代理店の売上、販売促進サービスの売上、メディア企業の広告収入、営業担当者の人件費、物理店舗の賃料や運営費、複雑な中間流通コストなどがこれにあたります。

AIによる徹底的な効率化が進むことで、これらの「距離を埋めるため」の活動が大幅に縮小、あるいは消滅していくとすれば、優れたプロダクトをもつ企業レベルでは生産性が劇的に向上する一方で、マクロの経済規模としては、少なくとも一時的、あるいは構造的に縮小するというパラドックスが生じる可能性があるのです。これは、価値を極限まで追求し、無駄を徹底的に排除すればするほど、経済システムはよりシンプルで効率的な形へと変貌を遂げ、その結果として見かけ上の経済規模は小さくなるという、資本主義経済における一つの重要な論点を示唆しています。産業革命、大量生産を土台にした資本主義によるグローバルな経済拡大が終わるとも言えます。

非生産性からの解放と、新しい価値創造への競争時代の到来

AIの進化によって、従来の「距離を埋める」ための仕事や作業がAIに代替されていく過程で、社会全体として見れば、膨大な「余剰」――すなわち、これまでそれらの業務に従事していた人材、費やされていた時間、そして投じられていた資金――が生まれることになります。この変革期において、私たちが最も注目すべき、そして希望を見出すべきなのは、この「余剰」の質と、その活用方法です。

特に重要なのは、これまで多くの企業組織において、ある種の非生産性の温床ともなっていた年功序列やポジションによる権威と固定的なヒエラルキーから、多くの人材が解放されるという点です。例えば、本来の業務とは直接関係のない社内政治に多大な時間を費やしたり、上長の承認を得るためだけに形式的で不必要な書類を作成したり、結論の出ない意味のない会議に長時間参加したり、あるいは上司の指示にただ盲目的に従うだけの創造性のない仕事に日々縛られていた人々が、その束縛から解き放たれるのです。

これまでの「距離を埋める」ための無駄な仕事や、それに付随する社内的な非効率なやり取り、形式的な手続きがAIによって劇的に削減されることで、組織はよりフラットで柔軟な形態へと変化し、個人の持つ真の能力や創造性が、年次や役職に関わらず直接的に評価され、価値を生み出す原動力となる時代が到来するでしょう。

このようにして非生産的な業務から解放された人材は、もはや組織内のヒエラルキーのしがらみや無意味な作業に貴重な時間を浪費する必要がありません。彼らが、その自由になった時間とエネルギーを何に使い、何を考え、どのような新しい価値の創造に取り組むのかに、今後の経済の、そして社会の行方は大きくかかっていると言っても過言ではありません。

これからの時代は、AIによる効率化で生み出された「余剰」を、どれだけ迅速に、そして効果的に、人間ならではの新しい価値創造――すなわち、イノベーションやこれまで世の中になかった革新的なサービス、真に顧客を感動させるプロダクトを生み出す力――に繋げられるか、という「新しい競争の時代」へと移行します。この新しい価値創造力こそが、これからの企業の、そして国の成長を左右する最も重要なファクターとなるでしょう。

日本にとっての大きなチャンス:質の高い「余剰」を創造力へ

これまで日本は、国際比較において「生産性が低い」と指摘されることがしばしばありました。しかし、このAIによる未曾有の変革期は、見方を変えれば、日本にとってこそ大きなチャンスとなり得るのではないかと、私は考えています。なぜなら、AIによって効率化され、社会的な「余剰」として再配置される可能性のある人材の知的レベルや基礎能力は、諸外国と比較してもともと非常に高い水準にあるからです。一般的に、日本人は真面目で勤勉であり、細部にまでこだわり抜く探究心を持ち、そして独自の繊細な感性や美意識を持っていると言われます。これらはまさに、新しい価値を創造し、イノベーションを生み出すための素晴らしい潜在能力そのものです。

この質の高い「余剰人材」が、これまでの非生産的な仕事や組織のしがらみから解放され、真に創造的で、知的好奇心を満たし、社会に貢献できる活動にその情熱とエネルギーを注ぎ込めるようになるならば、日本はこれまで十分に発揮できていなかった、あるいは埋もれていたとも言える潜在能力を一気に解き放つことができる可能性があるのです。

そのためには、単にAIを導入して既存業務の生産性を上げるという視点に留まらず、その結果として生まれる「余剰」を社会全体でどう活かすかという、より大きな構想が必要です。解放された人材が、年齢や経歴に関わらず自由に発想し、果敢に挑戦し、失敗を恐れずに新しい価値創造に注力できるような環境を整備すること。

そのための教育システムの抜本的な見直し、多様な働き方やキャリアパスの推進、そして何よりも失敗を許容し、再挑戦を奨励する社会風土の醸成など、来るべき「新しい競争と経済成長の時代」において、日本が再び世界の中で独自の輝きを放ち、飛躍するための準備を、私たちは今こそ真剣に始めるべきです。AIという強力なツールを手に入れた私たちが、その「余剰」で何を生み出すのか、そのための土壌と知識、そして知恵を社会全体で磨いていくことが、今、極めて重要になっているのです。

AIによる変革は、確かに多くの既存の仕事を消滅させ、組織のあり方を変え、経済の規模さえも変容させ、その混乱は私たちが数百年において経験したことのないものになりそうです。しかし、それは同時に、私たち人間を非生産的な労働から解放し、より創造的で、より人間らしい活動へとシフトさせる大きな機会とも言えます。この歴史的な転換点を、大きなチャンスと捉えて新しい価値創出に積極的に取り組んで行きたいです。

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《西口一希》

AI大変革時代のインパクト