3-4-4:野中郁次郎理論に学ぶ、暗黙知を形式知に変えるAI活用術(後編)

AIを思考の触媒として利用することで、個人の暗黙知を具体化し、自己認識を深め、組織内で知識を共有・発展させるプロセスが重要です。
3-4-4:野中郁次郎理論に学ぶ、暗黙知を形式知に変えるAI活用術(後編)

前回に引き続き、日本の経営学者であり、知識創造理論の世界的権威でいらっしゃる故・野中郁次郎先生の「暗黙知」と「形式知」に関する深い洞察をもとにした、筆者(西口一希)自身のAIの活用方法を紹介します。

AIを「疲れを知らない壁打ち相手」として活用し、暗黙知を深掘り・精錬

  • AIの特筆すべき能力の一つは、人間のように疲れたり、感情的になったり、あるいは集中力を切らしたりすることなく、自分のアイデアや仮説に対して、何度でも、そしてどこまでも根気強くフィードバックを返してくれる点です。この特性を最大限に活用し、AIを「疲れを知らない、24時間365日対応可能な超優秀な壁打ち相手」として、積極的に対話し、一度形式知化された情報をさらに深掘りし、精錬していくことを強く推奨します。

  • アイデアの深掘りと本質への到達:一度AIとの対話を通じて、自分の暗黙知が初期的な形式知(アイデアや提案)として表出されたとしても、それで満足してはいけません。むしろ、そこからが本当の「壁打ち」の始まりです。そのアイデアに対して、「このアイデアの最大の弱点や見落としは何か?」「このアイデアをさらにユニークで模倣困難なものにするためには、どのような要素を加えればよいか?」「もし競合他社がこのアイデアを知ったら、どのような対抗策を打ってくると予想されるか?その対策への再対策は?」といった形で、畳みかけるように問いを深掘りしていくのです。このようなAIとの対話的な「思考のラリー」を繰り返すことで、表面的な思いつきレベルの暗黙知から転換された初期の形式知が、より深く練り上げられた、本質的で実行可能な戦略や企画(より高度な形式知)へと進化させることができます。

  • 問題解決における多角的視点の獲得と盲点の発見:特定のビジネス課題や難問に直面した時、私たちは無意識のうちに自身の経験や知識の範囲内で解決策を探そうとしがちです。しかし、AIは広範なデータと多様なモデルに基づいて、私たち人間では思いもよらないような視点やアプローチを提示してくれることがあります。「現在、当社の主力製品Bの市場シェアが低下傾向にある。この問題を引き起こしている根本原因として考えられるものを、顧客要因、製品要因、競合要因、市場環境要因のそれぞれについて5つずつリストアップし、それぞれに対して短期・中期・長期で実行可能な解決策のアプローチを3つずつ提案してほしい。各アプローチについて、必要となるであろう主要リソース(人員、予算、時間)の概算見積もりも加えて」といった問いかけは、問題に対する理解を深め、見落としがちな盲点や、これまで気づかなかった新たな解決策の糸口(新たな形式知)を発見する貴重なきっかけとなり得ます。

  • 戦術のシミュレーションと実行前精度の向上:新しいマーケティング戦術や営業アプローチを実戦投入する前には、その効果やリスクを可能な限り事前に検証しておきたいものです。AIは、このような「思考実験」の良きパートナーとなります。「来月から新たに導入を検討しているこのSNSマーケティング戦術(具体的な内容を説明)について、ターゲット顧客層からの反応としてどのようなものが予測されるか、ポジティブな反応とネガティブな反応の両面から具体的にリストアップしてほしい」「この戦術において、どのようなクリエイティブ(画像、動画、コピー)が最も高いエンゲージメントを生み出すと考えられるか、過去の類似事例や現在のトレンドを踏まえて複数案提示してほしい」「この戦術の成果を測定するための主要KPI(重要業績評価指標)として、何を3つ設定すべきか、その理由と共に示してほしい」といった問いは、戦術の実行前にその精度を高め、無駄なコストや機会損失を回避するのに貢献します。これにより、暗黙的な戦術アイデアが、より具体的な実行計画(形式知)へと落とし込まれます。

AIとの対話は、一度で終わらせるものではありません。問いを重ね、深掘りし、可能であれば複数のAIとの対話から多角的な視点を取り入れることで、AIは自分の思考を刺激し続け、暗黙知から生まれた初期の形式知を、より質の高い、洗練された形式知へと高めてくれる、まさに「疲れを知らない壁打ち相手」なのです。私は、Gemini, ChatGPT, Perplexity, Claudeを並行して使っています。

AI活用は「自己と組織の知識創造プロセス」

そして最後に、AIへの問いかけという行為は、突き詰めれば「自分が何を本当に求めているのか」「自分が直面している本当の課題は何なのか」といった、自己認識を深めるための極めて有効なプロセスであると同時に、その過程で生み出された「形式知」は、組織全体の知識創造とイノベーションを加速させる貴重な資産となり得るということを心に留めてお期待です。

AIが提示するアウトプットは、実は自分の思考の具体性や論理性、あるいはその曖昧さや具体性の欠如を映し出す「鏡」のようなものなのです。もしAIからの回答が期待外れであったり、的外れであったりした場合、それはAIの能力不足だけが原因なのではなく、むしろ自分自身の問いの立て方、課題認識の甘さ、あるいは期待するアウトプットのイメージの不明確さが反映されている可能性が高いのです。

単にAIに「答え」を求め、一度きりの利用で終わらせてしまうのは、AIが持つ真のポテンシャルを全く活かしきれていないと言えるでしょう。重要なのは、AIとの継続的な対話を通じて、AIからのフィードバックを真摯に受け止め、自身の思考プロセスを客観的に見つめ直し、より本質的で、よりシャープな問いを立てる練習を意識的に重ねることです。

この「問いの質を高める」という訓練は、AIを使いこなすためのスキルであると同時に、自分自身の問題解決能力や戦略的思考力を鍛え上げるプロセスそのものでもあります。そして、このプロセスを通じて個人の中で暗黙知から形式知へと転換された知識や洞察は、組織レベルでも大きな価値を生み出します。

組織レベルでの形式知化がもたらす学習とスケールという観点では、AIを活用して個人が生み出した形式知は、以下のような効果をもたらすと考えます。

目的

効果

共有・再現性

個人の暗黙知に依存した業務の属人化を防ぎ、組織内での知見共有を促進。他拠点や新人でも質の高い業務実践を可能にする。

レシピ動画マニュアル、標準化された営業トークスクリプト、顧客対応FAQデータベース

標準化・品質安定

業務プロセスのバラツキを抑え、提供するサービスやプロダクトの品質を安定させ、顧客体験を均質化・向上させる。

トヨタ生産方式における「かんばん」や標準作業手順書、コールセンターの応対品質基準

イノベーション基盤

組織内に蓄積された複数の形式知(データ、ノウハウ、成功・失敗事例など)をAIが組み合わせ、分析することで、新たな視点やこれまで気づかなかった関連性を見出し、新製品開発や新規事業創出といったイノベーションの基盤となる。

製造現場のセンサーデータ × 顧客からのクレーム情報(形式知) → 製品改善や新機能開発のヒント

AIとの継続的な対話を通じて、自身の思考を整理し、暗黙知を形式知へと転換し、さらにその形式知を組織内で共有・発展させていくことで、AIは単なる便利なツールを超え、自分のビジネスにおける強力な「共同創業者」あるいは「戦略パートナー」へと進化していく可能性を秘めているのです。

AIとの対話で、知識創造のエンジンを回し続ける

故・野中郁次郎先生が提唱されたように、個人の暗黙知を形式知へと転換し、それを組織全体で共有・発展させていくプロセスなくして、組織が継続的に価値を生み出し、イノベーションを創出し続けることは難しいでしょう。

AI、特に生成AIとの「壁打ち」は、まさにこの「暗黙知の形式知化」という、知識創造の最も根幹となるプロセスを、かつてないレベルで加速させ、民主化する可能性を秘めています。私たち自身の感覚、感情、経験といった言葉にしにくいものを、AIへの「問い」という形で投げかけ、AIからの応答を通じて「言語化」し、それをチームや組織で「共有」し、さらにフィードバックを得て「改善」していく。この「言語化→共有→改善」のサイクルを、AIを触媒として高速に回していく仕組みを組織内に整えることで、個人と組織が共に成長し続ける「知識創造エンジン」が力強く回り続けるのです。

ビジネスの現場でAIの力を最大限に引き出すために、そしてAI時代においても人間としての価値を発揮し続けるために、自分は「AIに何を、どのように問うべきか」について、今日この瞬間から深く思考を始めてみてはいかがでしょうか。その問いの質こそが、自分と自分の組織の未来を左右するのです。この記事が、その思考の一助となれば幸いです。

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《西口一希》

AI大変革時代のインパクト