エージェント・コマース——「検討」が圧縮され、ファネルが消える

エージェント・コマースの進展により、従来のマーケティングファネルは会話の中に集約され、購入までの導線が大きく短縮されます。そのため、実務レベルでの対応力と、組織全体の強化がこれまで以上に重要になります。
エージェント・コマース——「検討」が圧縮され、ファネルが消える

第7回では、入口がスマホの外へ広がり、AIが“常時同伴”へ近づく可能性と、その現実的な時間軸を整理しました。今回はその入口の先、つまり「相談した後に何が起きるか」を扱います。結論から言えば、AIがエージェント化していくほど、従来のマーケティングファネル(認知→興味→検討→購入)は“改善される”のではなく、“圧縮されて消える”方向に進むと思います。

ファネルが消えるとはどういうことか——段階がなくなるのではなく「段階が一つの会話に畳まれる」

「ファネルが消える」と言うと、乱暴に聞こえるかもしれません。正確には、段階がなくなるのではなく、段階が一つの会話の中に畳まれます。従来は、検索して、記事を読んで、比較表を作って、口コミを見て、カートに入れて、決済する——という“分かれた行動”が必要でした。ところがエージェント化が進むと、ユーザーは「この状況で失敗しない選択をして」とAIに頼み、AIが比較・要約・注意点提示・条件確認まで行い、最後は「これでいい?」と同意を取り、購入まで進めます。

ここでAIが代行しているのは、情報処理だけではありません。もっと大きいのは「納得」と「安心」の形成です。人間が買い物で疲れるのは、選択肢の多さより“失敗への不安”です。AIが不安を減らし、条件を揃え、合わない場合の代替案まで提示できると、検討の負荷は大幅に下がります。結果として、購入の意思決定が早くなります。

会話→決済の一体化:マーケの勝負は「提案」より「完了」に寄る

エージェント・コマースの核心は、「会話で提案したら、そのまま買える」ことです。従来のECは、発見(検索・広告)と購入(カート・決済)が別の場所にありました。AIがその間をつなぐと、体験は“移動”から“完了”へ変わります。ユーザーにとっては、アプリを行ったり来たりする摩擦が減ります。企業にとっては、購入までの導線が短くなり、取りこぼしが減ります。

ただし、導線が短くなるほど、企業側の“弱いところ”も露骨に出ます。在庫が曖昧、納期が不明、返品条件が難しい、サポートが遅い。こうした不確実性は、AIが推奨する際の大きな障害になります。つまり、エージェント化が進むほど、マーケは広告だけでは成立しにくくなり、オペレーション(実務)の強さが競争力になります。

企業のP/Lが変わる:「広告費」から「取引手数料(AI税)」へ

会話内で購入まで完結する世界では、課金の重心も変わります。従来、企業は広告費を払って“見込み顧客を連れてくる”ことに投資していました。しかしAIが送客と決済を握ると、費用は「露出への支払い」より「取引が成立したことへの支払い」に寄ります。結果として、広告費の一部が取引手数料(いわゆるAI税のようなもの)へ置き換わっていくと予測します。

この変化は一見するとコスト増に見えますが、本質は“確度の低い投資”から“確度の高い支払い”への移動です。広告は当たるか外れるかが大きい一方、取引手数料は売上が立ったときに発生します。したがって、強いプロダクトを持つ企業ほど、全体の獲得効率(実質CPA)が改善する可能性があります。逆に、価値が曖昧で返品が多い企業は、推奨されにくくなり、手数料を払う機会すら減るかもしれません。

“推奨後”が勝負:在庫・返品・CSが推薦スコアを決める

エージェント・コマースで最も誤解されやすいのは、「AIに推奨されれば勝ち」という発想です。私はむしろ、推奨された“後”が勝負だと思います。AIは、推奨後の体験(配送、品質、返品、問い合わせ)を学習し、次の推奨に反映します。つまり、購入後の不満は“次の機会損失”になります。

ここで重要なのは、従来のマーケが軽視しがちだった領域——返品ポリシーの明瞭さ、サポートの応答速度、レビューへの対応、配送品質——が、推奨スコアを左右することです。言い換えると、エージェント化が進むほど「良い売上」が増えやすく、「悪い売上」は続きにくくなります。短期の売上ではなく、長期の再購入と評判が効いてきます。

実務チェック:エージェント・コマースに耐える“最小セット”

ここからは、現場が動ける形に落とします。エージェント・コマースに耐えるための最小セットは、私は5つだと思います。

  1. 価値の短文化:30秒で言える便益・独自性・根拠
    AIは長文を扱えますが、ユーザー体験は短いです。要点が短く言えない価値は、伝達で損します。

  2. 条件の固定化:価格・納期・在庫・返品・保証・サポート
    AIが嫌うのは不確実性です。条件が曖昧な商品は推奨されにくくなります。

  3. 比較可能性:スペック、サイズ、適用条件、使えないケース
    比較表に載る粒度がないと、AIは納得材料を作りにくいです。

  4. 第三者性:レビュー、事例、検証データ
    自社主張ではなく、第三者の言葉とデータが推奨の背中を押します。

  5. 購入後の設計:失望を減らす(注意点、代替案、問い合わせ導線)
    買った後の不満が次の推奨を削るため、失望を減らす設計が重要です。

KPIの再設計:CVだけを追うと、原因が見えなくなる

エージェント化が進むと、CV(購入)だけを追っても原因が見えにくくなります。なぜなら、検討が会話内で進み、最後に“同意しない”という形で離脱するからです。したがって指標は、少なくとも次の三段に分けた方が良いと思います。

  • 候補化:AIの比較表や候補に入る(掲載率)

  • 推奨:最終的に推奨される(推薦率)

  • 完了:購入が成立し、満足が得られる(完了率+評判)

この三段が見えると、どこが詰まっているかが分かります。掲載率が低いなら情報の可読化不足、推薦率が低いなら独自性や根拠の弱さ、完了率が低いなら在庫・返品・CSなど実務の弱さ、というように打ち手が変わります。

組織の変化:マーケは部門横断の“完了責任”へ

エージェント・コマースの時代、マーケは「集客担当」で終わりません。入口から完了までが短くなるほど、部門間の切れ目が顧客体験の切れ目になります。だから、マーケ・EC・物流・CS・プロダクトが一体で“完了”を設計する必要が出ます。これは難しい一方で、うまく回ると競争力になります。なぜなら、完了の質は真似しにくいからです。

最後に:AIに“任せる”のではなく、AIが任せたくなる材料を作る

エージェント化は「AIが全部やってくれる世界」ではありません。AIができるのは、材料が揃っているときに限られます。材料がなければ、推奨もできず、責任も持てません。したがって企業がやるべきは、AIに任せることではなく、AIが任せたくなる材料——価値、根拠、条件、実務——を整えることです。

次回(第9回)は、こうした“状況で選ばれる”世界において、CEP(カテゴリー・エントリー・ポイント)がどう変わるのか、つまり「記憶ハック」から「AIの判定ゲート」へ拡張する話を扱います。ファネルが畳まれるほど、入口の状況定義が重要になるためです。

BtoBでも同じ圧縮が起きる:見積・稟議・契約が「会話の中」に入ってくる

エージェント・コマースという言葉はBtoCの買い物を連想しがちですが、私はBtoBこそ影響が大きいと思います。BtoBの意思決定は本来、比較検討の工程が長いからです。ところがAIが入ると、担当者は「前提条件を整理し、比較表を作り、稟議の説明を整える」作業をAIに任せられます。さらに、見積取得、条件比較、導入手順の確認、セキュリティ要件のチェックなども、会話の中で“段取り”として圧縮されます。

BtoBでは最終的に人が決めますが、決める前の摩擦が減るだけで成約速度は大きく変わります。したがって企業は、営業資料を増やすより「AIが稟議の部品にできる情報」を整える方が効くようになります。たとえば、導入要件、よくある反対意見と回答、セキュリティ項目、料金体系、解約条件、サポート体制、導入事例の数値。これらが揃っている会社は、担当者の社内説得が速くなり、結果として選ばれやすくなると予測します。

価格の決め方も変わる:ディスカウントより「条件の透明性」が武器になる

会話内で比較が進むほど、価格は見られます。ただし、単純な最安競争に寄るとは限りません。むしろAIは「条件の違い」を整理しやすいので、価格以外の価値が説明できる会社が強くなります。逆に言えば、同じ価格なのに条件が曖昧、という状態は最も弱い。納期、保証、返品、サポート、導入支援、更新、運用負荷。こうした条件が透明なほど、AIは推奨しやすくなります。

失敗パターン:エージェント化で負ける会社は「最後にコケる」ことが多い

実務的に怖いのは、入口や提案は良いのに、最後の実行でコケるケースです。たとえば、推奨されたのに在庫切れ、納期が読めない、返品が分かりにくい、サポートがつながらない。これはユーザー体験として最悪で、しかもAIが学習しやすい失敗です。結果として次から候補に入りにくくなる。エージェント・コマースは、成功すると加速し、失敗すると減速する“フィードバックの強い市場”になると思います。

90日プレイブック:まず「完了の品質」を作り、次に「推奨の材料」を増やす

最後に、導入を現場で進める順番を示します。私は90日で次の順が現実的だと思います。

  • 最初の30日:完了の弱点潰し(在庫・納期・返品・CSの詰まりを解消)

  • 次の30日:材料の可読化(便益・RTB・比較表の粒度・FAQ整備)

  • 最後の30日:計測と改善(掲載率→推薦率→完了率のどこが詰まるかを見る)

ここで重要なのは、最初から全部やろうとしないことです。エージェント化は不確実性が高いので、Start/Stop/Scaleで小さく試し、学びをログに残し、勝ち筋だけを伸ばす方が強いと思います。結局、AI時代は「良い売上」を生む仕組みを持つ企業が、短い導線の中で勝ち続ける世界になります。

決済レールと本人確認——「買えること」はプロダクトの一部になる

会話内で完結する体験では、決済・本人確認・不正対策などの“レール”が見えないところで重要になります。ユーザーは安全に払えて、後から履歴を確認でき、問題が起きたらすぐ戻れることを求めます。企業側も、返金やキャンセル、領収書、契約更新などをスムーズに扱えないと、完了率が落ちます。したがって今後は、決済や契約の体験そのものが、マーケ以前に「選ばれる条件」になっていくと思います。

特にBtoBでは、稟議書・請求書・監査対応まで含めて“完了”と定義し直すことが重要です。

まとめると、会話内で購入が完結する世界では、勝敗は集客ではなく「推奨→完了→満足」を一気通貫で設計できるかで決まると思います。

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《西口一希》

AI大変革時代のインパクト