
AIがビジネスや社会に与える影響を理解するために様々な書籍や記事を読んできました。AIを活用した経営、組織、そしてマーケティングと、分野を横断しながら読み進める中で、マーケティング分野において、ひとつの共通した構造が前提となっているように思うようになりました。
特にマーケティングを主題とした書籍や記事では、「AIを活用してどう伝えるか」「AIを活用してどう売るか」を最適化することがAI時代のマーケティングである、という前提です。AIは「伝えること」「売ること」を高精度に効率化する手段として位置づけられており、その活用法を解説することが「AI時代のマーケティング」の主要な論点となっています。
このマーケティングは「どう伝え、どう売るか」である、という前提そのものを問い直している書籍や記事は、少なくとも私が手にした範囲では、ほとんど見当たりませんでした。しかしこの前提こそが、AI時代において最も問われるべき点ではないかと感じるようになりました。それが、この文章を書くにいたった背景です。
定義の違いが生む、根本的な差異
マーケティングをどう定義するかは、単なる言葉の問題ではないと思います。定義によって、マーケターが何を考える職業であるかが決まり、組織における役割の範囲が決まり、事業の成否に与える影響の大きさも変わってきます。
ドラッカーは、マーケティングについてこのように述べています。
「マーケティングの目的は、セリングを不要にすることである。マーケティングが目指すのは、顧客を理解し、製品やサービスが顧客に合致することで、おのずと売れるようにすることだ。」
さらにドラッカーは、企業の基本機能として「マーケティング」と「イノベーション」の二つのみを挙げており、それ以外はすべてコストであると述べています。ここでのマーケティングとは、顧客が何を必要としているかを見極め、それに応える価値そのものを創造する行為を指しています。「どう伝えるか」はその結果として付随するものであり、主たる問いは「何を創るか」にあると考えられます。
現在の主流的なマーケティング定義とドラッカーの定義を並べると、そのギャップはニュアンスの差というより、マーケティングの役割についての根本的な違いだと言えます。前者ではプロダクトである商品やサービスは「所与の前提」であり、マーケティングはその後工程から始まります。ドラッカーの定義では、商品やサービスが「何であるべきか」を問うことこそがマーケティングの起点です。
特に日本企業において、マーケティングは1980年代以降に、それまでの高度経済成長を支えてきたプロダクト開発機能と営業機能の間に、当時主流であったマス媒体での広告宣伝活動、購買場面の販売促進、ブランド強化を目的として導入された経緯があるので、この定義に結びついていると言えます。この「どう伝え、どう売るか」の専門家として定義されたマーケターは、商品開発や事業設計の上流ではなく、そこで作られたプロダクト(商品やサービス)をどう顧客やクライアントの届けるかを考える下流工程として固定されます。多くの企業においてCMOが実質的に「広告宣伝」や「販売促進担当」の上位職にとどまりがちな構造も、この歴史的な経緯が深く結びついていると思います。
AIが代替していくのは「どう売るか」の技術ではないか
この定義の違い自体が問題だとは思いません。しかし、AIファーストの時代という文脈を重ね合わせると、その違いがどんな違い生み出すか想像できます。
現時点で、生成AIは、データ分析、コピーライティング、広告クリエイティブの制作、メールマーケティングの自動化、ターゲティングの最適化、SEO対策、SNS投稿の量産、顧客対応のチャットBot化など、まさに「どう伝えるか」「どう売るか」の実務技術を、急速に代替・自動化・省人化しつつあります。
多くの書籍や記事は、この技術代替を解説しています。確かに、AIが最も得意とするのは、大量のデータをもとにパターンを認識し、既知の最適解を高速・低コストで実行することです。それはまさに「どう伝え、どう売るか」の領域で、これまでマーケターが担ってきた業務の相当部分と重なっています。
言い換えれば、現在の主流定義に基づくマーケティング業務の多くは、AIによって代替されていく領域に含まれると予測できます。AIを活用することを主たる競争優位とするマーケターは、AIが普及するにつれてコモディティ化の圧力に直面していく可能性が高いと言えます。
AIが代替し難い問いとは何か
一方で、AIが本質的に代替し難い領域があると考えます。それは、データ化されていない「暗黙知」の比重が大きい問いです。
「この市場に、まだ誰も解いていない課題があるか」「この技術は、顧客にとってどんな新しい意味を持ちうるか」「既存の常識を覆す価値の可能性はどこにあるか」、こうした問いに向き合うためには、自社技術の深い理解、人間やクライアントの行動や感情への洞察、市場実態への深い解像度、異なるドメインの知識を接続する構想力、その結果として「まだ存在しない価値の可能性」を想像する力が求められると思います。これらは大量のデータから統計的に導出できるものではなく、経験と判断と問い続ける姿勢の中に宿る「暗黙知」であり、現時点のAIには代替が難しい領域ではないでしょうか。
かつてドラッカーが定義したマーケティングの本質である「顧客にとっての価値とは何か」を問い、それに応える商品・サービスそのものを創造することは、まさにこの暗黙知の領域に位置しているように思います。
AIが「どう伝え、どう売るか」の技術を代替するほど、開発に属する上流工程である「何を創るか」「何が新しい価値になるか」という問いの比重は相対的に高まってくると考えます。AIによって伝達・販売の効率が均質化した世界では、そもそもの商品・サービスの独自性こそがビジネスの勝敗を分けるようになる可能性があるからです。
マーケティングの定義を問い直す時ではないか
AIファースト時代のマーケティングを考えるなら、「AIをどう、現在のマーケティングに活用するか」という問いに先立って、そもそも「マーケティングとは何か」という定義自体の見直しが必要ではないかと思います。
現在の主流定義である、「どう伝え、どう売るか」の最適化に基づいてAIを論じる限り、マーケターはAIの優れたオペレーターにはなれても、AIには担えない根本的な問いの担い手にはなりにくいのではないでしょうか。自らの職能の中核部分をAIに置き換えることを、「AI活用」という言葉で肯定し続ければ、結果、主流定義のマーケティング業務は効率化、省人化、自動化されるのは確実です。
ドラッカーの定義に立ち返れば、マーケティングの本来の責務は、事業の起点に立ち、「誰のどんな課題を、なぜ自社が解くのか」という問いに答え続けることだと考えます。それは経営と開発の中枢に位置する機能であり、CMOは広告の司令塔や販売促進ではなく、経営戦略としての顧客価値創造、より広義な開発戦略とプロダクト開発の最高責任者であるべきではないかと思います。それは、かつてのスティーブ・ジョブズがApple復帰後に果たした役割であり、多くの創業経営者が、その事業創造から事業育成のなかで実践してきた役割に近いのではと思います。
多くの書籍や記事を読むほどに、AI時代が逆説的に浮かび上がらせているのは、「どう伝え、どう売るか」の技術の進化ではなく、「何を創るか」という問い、企業の存在価値、誰を顧客として、何を価値として提供するのかという問い、なのではないかと強く感じます。この問いをマーケティングの中心に据え直すことが、AI時代のマーケターにとって最も根本的な、しかし、時間の猶予がない喫緊の課題になっているように思います。
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