SECTION 01

「マーケティング廃止」報道の真相

2014年、P&GはMarketingという組織名称をBrand Managementへ変更し、Marketing DirectorをBrand Directorに改称しました。この出来事は「世界最大級の広告主がマーケティングを廃止した」と報じられました。しかし、P&Gが廃止したのはマーケティング活動ではありません。

廃したのは、マーケティングを他のブランド構築機能から切り離して管理する組織名称と縦割りでした。改革の本質は、マーケティングからブランディングへの縮小ではなく、マーケティングを、ブランドと事業の成果に責任を持つ経営機能へ拡張し直したことにあります。この一点を取り違えると、改革から得られる示唆のすべてを読み損ないます。

SECTION 02

3つの言葉の区別 ― マーケティング/ブランディング/ブランドマネジメント

議論の前に、3つの言葉を区別する必要があります。

ブランドマネジメント ブランドを、継続的に選ばれ、成長し、利益を生む「事業資産」として管理する マーケティング 顧客と市場を理解し、誰に・どの価値を どの商品・価格・販売方法・ コミュニケーションで届け、 選択・購入・使用・継続と 事業成果につなげるかを設計・実行 ブランディング 顧客の記憶の中に、識別性・意味・ 期待・信頼・選択理由を形成する活動 ロゴや広告だけでなく、商品性能・ パッケージ・価格・店頭・接客・ 使用体験・企業行動のすべてが対象 商品・顧客・競争・イノベーション・価格・流通・コミュニケーション・投資・売上・利益を統合し、 中長期的な結果に責任を持つ
図解1|3つの言葉の区別:マーケティングとブランディングという活動を、事業資産の管理として統合し、中長期の結果に責任を持つのがブランドマネジメント
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用語定義
マーケティング顧客と市場を理解し、誰に・どのような価値を・どの商品・価格・販売方法・コミュニケーションで届け、選択・購入・使用・継続と事業成果につなげるかを設計・実行する活動
ブランディング顧客の記憶の中に、その商品や企業についての識別性・意味・期待・信頼・選択理由を形成する活動。商品性能、パッケージ、価格、店頭、接客、使用体験、企業行動のすべてがブランドをつくる
ブランドマネジメントブランドを、継続的に選ばれ、成長し、利益を生む事業資産として管理すること。商品・顧客・競争・イノベーション・価格・流通・コミュニケーション・投資・売上・利益を統合し、中長期的な結果に責任を持つ
SECTION 03

P&Gにおけるブランドマネジメントの歴史 ― 1931年から2014年へ

P&Gにおけるブランドマネジメントの原点は1931年です。ニール・マッケルロイは、ブランドごとに専任責任者を置くBrand Manの考え方を提案しました。同じP&Gの商品であるIvoryとCamayのように、異なるブランドが市場で競争するなか、会社やカテゴリー単位の管理だけでは、各ブランドの課題を発見し成長させる責任が曖昧になるからです。Brand Manは広告を発注するだけでなく、販売状況・市場・流通・競合を調べ、計画を立て、社内外の資源を動かす、いわば小さな事業の責任者でした。P&Gは現在も、その目的を、事業モデルの中心にあるブランドへの「単一責任」の確立だったと説明しています。

1931 Brand Man提案 ブランドへの 「単一責任」の確立 1990 宣伝本部 (Advertising Dept.) 名称は「宣伝」でも 実務はすでに ブランドマネジメント 1993 Marketing Dept.へ改称 職責の実態に 組織名を合わせた 2008-09 Global Marketing Officer → Global Brand Building Officer 責任範囲が ブランド体験と 事業成果全体へ拡張 2014 Chief Brand Officer Marketing → Brand Management 4つのブランド構築機能を 一つの体系に統合 名称の変遷は「縮小」ではなく、職責と責任範囲の一貫した「拡張」の歴史
図解2|P&Gの組織名称の変遷:1931年のBrand Manから2014年のBrand Managementまで、一貫して「単一責任」の追求だった
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筆者は1990年にP&Gへ入社しました。当時、Marketing Departmentという名称の部門は存在せず、所属したのは宣伝本部(Advertising Department)でした。ただし、担当していた仕事は広告制作や媒体管理だけではありません。すでにブランドマネジメントを担い、消費者・市場・商品・競争・販売・コミュニケーションを横断して、担当ブランドを成長させることが求められていました。1993年のMarketing Departmentへの改称は、実務が突然マーケティングに変わったのではなく、広告という名称では表しきれなくなっていた職責に、組織名を合わせた改革だったと理解しています。

2014年改革の中身 ― 4機能の統合と単一責任

2014年の改革では、従来のMarketingに相当するBrand Management、消費者・市場理解を担うConsumer and Market Knowledge、社内外への発信と評判を扱うCommunications、商品・パッケージ・接点を設計するDesignという4つのブランド構築機能が、一つの体系に統合されました。A.G.ラフリーCEOが掲げたのは、「一つの統合されたブランドマネジメント組織」と「戦略、計画、市場での結果に対する単一責任」です。分散していた専門機能をまとめ、役割を明確にして意思決定を速め、調整と階層を減らし、創造と優れた実行に使える時間を増やそうとしたのです。

したがって、P&GのBrand Managementを、日本でしばしば使われる「ブランディング部門」と理解するのは適切ではありません。ロゴ、パーパス、広告表現、世界観、認知や好意度だけを管理する部門ではなく、ブランドを軸に商品と体験を統合し、売上・利益・競争力まで意識するブランド経営です。Brand Managerに制度上のP&L最終責任がなくても、広告やキャンペーンの完成を仕事の終点とせず、ブランドと事業の結果を自分の責任として捉えることが求められます。

SECTION 04

AI革命が顕在化させる問題 ― 部分最適の罠

この2014年改革は生成AIを予見したものではありません。しかし、AI革命によって顕在化する組織問題を先取りしていました。AIは、市場調査、データ分析、インサイト仮説、商品コンセプト、コピー、画像・動画、メディア案、効果予測まで、従来は複数部門に分かれていた仕事を横断します。

ここで各部門が別々のAIを導入すると、何が起こるでしょうか。

部門別AI ― 部分最適の総和 調査AI 理解の深さを最大化 広告AI 反応率を最大化 営業AI 受注を最大化 価格AI 短期売上を最大化 財務AI コスト削減を最大化 部分最適を足しても 顧客満足・ブランドへの信頼・売上・ 利益・将来キャッシュフローが 全体として最大化されるとは限らない 統合されたブランドマネジメント 上位の目的と判断基準 誰のどの問題を解決するのか/便益と独自性は何か 商品・価格・パッケージ・コミュニケーション・ 販売体験は一貫しているか 短期売上と中長期利益の両立/AIと人間の役割分担 人間+AI 人間+AI 人間+AI 共通の目的の下での統合 顧客価値・信頼・売上・利益・キャッシュに 結果責任を持つブランド責任者が統合・選択する
図解3|部分最適の罠と統合:AI時代に必要なのは個々の自動化以上に、複数の人間とAIを共通の目的の下に統合すること
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調査AIは理解の深さ、広告AIは反応率、営業AIは受注、価格AIは短期売上、財務AIはコスト削減を、それぞれ最大化しようとします。しかし、それらの部分最適を足しても、顧客満足・ブランドへの信頼・売上・利益・将来キャッシュフローが全体として最大化されるとは限りません。AI時代に必要なのは、個々の作業を自動化すること以上に、複数の人間とAIを共通の目的の下に統合することです。そのブランドは誰のどの問題を解決するのか。提供する便益と独自性は何か。各接点は一貫しているか。短期売上と中長期利益をどう両立するか。何をAIに任せ、どの判断を人間が行うか。こうした上位の目的と判断基準を定めることが、AI革命時代のブランドマネジメントです。

SECTION 05

AI時代に希少になる能力 ― 選択・結果責任・時間の再配分

千案の時代に希少なのは「選び、捨て、投資を決める」能力

AIは多数の案を生成できますが、結果責任を負いません。案を十個しかつくれなかった時代には、案を出す能力が希少でした。AIが千案を生成する時代には、何を選び、何を捨て、どこに投資するかを決める能力が希少になります。クリック率や短期売上だけを目的にすれば、AIは刺激の強い表現や過度な値引きを選び、長期利益やブランドへの信頼を損なう可能性があります。だからこそ、P&Gが2014年に掲げた「戦略、計画、結果への単一責任」は、AI時代にさらに重要になります。AIの出力を統合して選択し、その結果に責任を持つ人間のブランド責任者が必要です。

AI導入は自動的に時間を生まない

AIを導入すれば自然に時間が生まれるわけではありません。一案をつくる時間が十分の一になっても、案を十倍つくってすべてを人間が確認すれば、仕事は減りません。AIが数分で企画を作成しても、部門調整と承認に三週間かかれば、事業の速度も変わりません。AIによる効率化と同時に、やめる仕事、減らす会議、委譲する権限を決め、生まれた時間を顧客観察、重要な問いの設定、仮説検証、創造、投資判断へ移す必要があります。2014年改革が目指した役割の明確化・迅速な意思決定・組織の簡素化は、そのままAI導入の前提条件になります。

統合の対象は「人材」から「ブランド経営OS」へ

2014年にP&Gが統合した中心は、人材と専門機能でした。AI時代には、消費者・市場データ、ブランドの目的、顧客、便益、独自性、商品知識、表現原則、投資基準、評価指標、プロンプト、AIモデル、意思決定履歴、成功・失敗の検証結果までを、一つのブランド経営OSとして構造化する必要があります。部門ごとに別の目的をAIへ与えるのではなく、顧客価値と事業成果に関する共通の判断基準を持たせなければなりません。

表現が大量生産できる時代ほど、実体が競争優位になる

生成AIによって広告、画像、動画、ブランドストーリーが大量生産できるほど、表現の巧拙だけでは差別化できなくなります。競争優位の源泉は、独自の消費者理解、優れた商品、価格に見合う価値、購入・使用体験、それらを一貫して提供する組織能力へ移ります。実体を伴わないブランディングをAIで大量生産すれば、企業がつくった期待と実際の体験の差を拡大し、かえってブランドを毀損します。AIが表現をつくれる時代ほど、伝える価値が商品と体験の中に本当に存在するかを確認するブランドマネジメントが重要なのです。

SECTION 06

結論 ― 何がAIへ移り、何がBrand Managementに残るのか

P&Gが2014年に廃したのは、マーケティングそのものではありません。廃したのは、マーケティングを広告・販促・調査などの部分機能として閉じ込め、ブランドと事業の最終結果から切り離す考え方でした。

AI革命によって、分析、企画、制作、配信、検証などのマーケティング作業は大幅に自動化されます。しかし、誰にどの価値を提供するかを決め、人間とAIを統合し、選択し、投資し、顧客価値・ブランドへの信頼・売上・利益・キャッシュに責任を持つ仕事はなくなりません。むしろ実行能力が一般化するほど、その重要性は高まります。

マーケティング作業はAIへ移り得る。しかし、目的設定・統合・選択・決断・結果責任はBrand Managementに残る。これが、P&Gの2014年改革から読み取れる、AI革命時代への最も重要な示唆です。

SECTION 07

要点まとめ

  1. 2014年にP&Gが廃止したのはマーケティング活動ではなく、マーケティングを部分機能に閉じ込める縦割りの組織名称。改革の本質は、マーケティングをブランドと事業の成果に責任を持つ経営機能へ拡張し直し、4つのブランド構築機能を「単一責任」の下に統合したことにある。
  2. 部門ごとに別々のAIを導入すると、各AIは自部門のKPIだけを最大化し、部分最適の総和が全体最適にならない。AI時代のブランドマネジメントとは、上位の目的と判断基準を定め、複数の人間とAIを共通の目的の下に統合すること。
  3. AIが千案を生成する時代に希少なのは、案を出す能力ではなく選択・投資を決め、結果に責任を持つ能力。表現が大量生産できるほど、競争優位は商品・体験・組織能力という実体へ移り、実体なき表現の量産はかえってブランドを毀損する。
FINAL CHECK

理解度クイズ(全5問・3択)

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